※「大はらい」(古伝三十)
諸国の大はらいのさまを記録したものはないが、朝廷で行われる式(のり)を参考に知るとよい。
「神祇令」に、「六月、十二月の晦日、大はらい。東西の文部(ふみべ)が、はらいの太刀を
お供えし、はらいの詞を読み、終わって、百官男女がはらいの場所に集まり、中臣は、はらいの詞を宣(の)り、ト部(うらべ)がはらいを為す。」
(文部(グループの名)が読むはらい詞は、義解(本の名)に、「文部が漢音に読む」とあり、この詞も式の大はらい詞の末に載せられている。
先生は、考に記す。「これ(漢音に読み上げたという文)は、文部が遠祖の時から、伝え来た文であるとは思われない。はるか後のもので、
中国、朝鮮半島などの巫祝の唱える詞によって作られたものではあるまいか。
また、「ト部がはらいを為す」というのは、上代のことではない。後に定められたものであろう。このことは、大はらい詞の最後の文に論がある。」
百官男女とあるのは、男女の官人の意味で、官人とその妻や娘という意味ではない。
「四時祭式」に、「六月晦日の大はらい(十二月これになずらう)…。
晦日に、親王以下百官が朱雀門に集まり、ト部がのりとを読む」とある。
(ト部が読むとあるのは、後の人の改めたものか。はらいの詞は、もともと中臣がよむものである。式文にこうした記述はありえない。)
「太政官式」に「六月、十二月の晦日。
宮城の南の路で、大はらいを行う。
大臣以下、五位以上、朱雀門に就(つ)く。弁史(職の名?)各一人、中務式部(グループ名)、兵部(〃)等の省を率いて、見参の人数を申し(報告し)、
百官男女ことごとく会し、これをはらう。
臨時の大はらいもまた同じ。」とある。
なお、朱雀門前の大はらいの儀式(のり)は、「貞観儀式」にも記述があり、その中に、「はらいの儀(さま)はただ…(中略)立ち定まる神祇官が切り麻(ぬさ)を分かち、終わって、中臣座に就いて祝詞を読む。
「聞こし食(め)せと」の箇所で、トネ(諸司の六位以下の者)みな称唯?する。
はらい終えて、大麻(おおぬさ)を行う。次に五位已上の切麻(きりぬさ)を行い、解散となる。」とあるのみである。
この中に、大麻(おおぬさ)、切麻(きりぬさ)を行うという意味の記述があるが、古代のはらいのさまとは思われない。後の世の儀式に相違ないであろう。
令の時、既に文部が漢文の祝詞を読むこと、ト部のはらいすることなどあり、いにしえのものとは思われない儀式(のり)などが雑(ま)ざっているので、世々に移り変わったほどを、思いはかるとよい。
中昔(中世?)以降、大体、はらいは、陰陽家の仕事のようになった。個人的なはらいも同様。
この大はらいの次第に衰えたことは、「小右記」に「天元五年六月二十九日、今日、大はらいの場所に、公卿一人も参らず。右少弁惟成を代理と為し、これを行わせる。内侍たちは、障をいい、おはらいに向かわず。女史を内侍代理と為す。」 とあることで知られる。
天元は、某天皇の時代で、世の人ひたすら仏事(ほとけわざ)に心を寄せて、神事をなおざりに思い、はらいは、わが身のはらいであることを忘れている。
あなかしこ、あなかしこ。(ああ、畏れ多い、もったいない。)
このように参らぬことを咎めることも聞こえないのは、これまた、神事をなおざりに思うからであろう。
※現代、儀式は復興しているらしい。
※「大ぬさ」( 〃 )
「大(おお)」は、大はらいの大と同じく、広く国中から取るためにいう。
「ぬさ」は、神に手向ける物もいい、はらいに出だす物もこういう。
名の意味は、祈(ねぎ)布佐(ふさ)である。事を乞い祈(願)(ね)ぐということで、出すのである。
はらい「ぬさ」も「その罪けがれを除き清めたまえ」と(ね)ぐ意から、出だすもので、神にお供えして祈(ね)ぐと、意味は同じである。
「ふさ」は、麻のことである。
神に手向ける物、はらいに出す物は、種々あるが、特に麻を名に負わせているのは、あるが中にも旨とする一種にだからである。
ここにいう「ぬさ」は、はらいに使う物のことで、「千座置戸」のヵ所に詳しいので、考え合わせていにしえの「大ぬさ」の意を知るとよい。
(大はらい、大ぬさというものは、ただ名のみあり、古代のとはその趣きいたく変わり、もとの意は失(う)せている。
貞観儀式の大はらいのヵ所にある「切りぬさを分かつ」「大ぬさを行う」という後の儀式のさまも文献になく、どう行われたか分からない。
ともかく、古代に大ぬさといったものは、中昔から宣長の時代までのものとは、その趣き異なる。
神事に榊の枝に麻と紙とを垂らした物も、「ぬさ」といい、紙は、木綿の代わりである。
また、神社から授けるおはらい大麻(ぬさ)という物は、木綿麻を串に挟(はさ)んだ 形で、これも紙を代わりにして用いられている。
考にいう。
臨時の大はらいは、建礼門で行われたことが、「三代実録」の記述で分かる。
後釈。
貞観儀式に、大はらいの儀式の記述。
「その日、午四刻。神祇官・某(なにがし)・某の三司が延政門の外に集まる。
百官男女は、ことごとくおはらいの場所に集まる。
これより先に(準備として、)神祇官が朱雀門の前の路の南側におはらいに使う物を陳(なら)べる。(六ヶ所に分けて、置く。馬は、北を向かせる。)
朱雀門、東西の舎に、位ごとに諸司の席を設ける。
某たちは、朱雀門の壇上の東側(向かって右)の第一の間を某たち、第二の間を某たちの階(席)とする。
女官たちの席は、壇上の西の間にある。
間仕切りは、斑幕で隔てられている。
某たちの席は、東の舎。
某たちは、西の舎。
祝詞(をあげる人)は、路の南西。(おはらいに使う物を六ヶ所に分けて置いたその隣の
イメージ。)
席の前に軾布を置く。
席の割り当てのないあとの役人たちは、東の舎の東に立つ。
(中略)
東舎の人たちが、席を立ち、降りて、東舎の南に立つ。
西舎の人たちが、(同様に)降りて、西舎の南に立つ。
立ち定まり、神祇官が、切り麻(ぬさ)を分かつ。(位ごとに各担当で行う。)終わって、中臣が、(席の所に)行って、席に就き、祝詞を読む。
祝詞の「聞こし召せ」のヵ所では、席のない人たちが、(自らの口を手で覆いながら?)「おお」と答える。
はらい終わって、次に、大麻(おおぬさ)を行う。
某たちの切麻を撤する。
散会となる。
※大体のさまを抄訳(迷訳?)した。「切麻を撤する」などのことも、よく分からないが、ご勘弁。専門書に詳しい。
「祝詞を読む」のは、大はらい祝詞である。
切ぬさを分かつ、大ぬさを行うなどは、古代からあったものか、後からの行われた儀式のように聞こえる。
元来、おはらいは、その人々から、はらいに使う物は、出させた。令の書かれた時代には既に、文部(ふみべ)が漢文の詞を読んだり、ト部(うらべ)がおはらいをすることなど、ほかにも、古代にない儀式が混ざっていたらしいことが分かる。
この儀式について、貞観儀式以外の本に、少し違った記述がある。
「おはらいの馬は六匹」というヵ所、「又、稲四、五束ばかりを積み置く」とある。
また、「大ぬさを行う」の解釈に、「神祇官以下、これを執(と)り、某以下の席の前にこれを引く。某、某、某諸司の料(しな)は、各異なる。」とある。
また、「某一人が事を行う。あるいは、納言参着、稀有の例である。」
という記述からすると、その頃は、大臣の参り集まることが絶えていたと思われる。
百官の大はらいも、二季の晦日以外にも、臨時にもあったようである。
大嘗祭式に「おおよそ大はらいの使いは…」と諸国の使いを遣わすことを挙げ、「京にある諸司、晦日に集って大はらいをすること、二季の儀のごとし」とある。
そのほか、神事の折、内裏にけがれ事があって、大はらいを行われたことなども古書にある。
考に、臨時の大はらいは建礼門で行われたとあるは、三代実録の「某年某月某日、某の前、人死あり、建礼門の前で大はらいする。」とあるヵ所をいっている。これは、内裏のけがれであるために、特別にこの門の前で行われたものである。
通常、臨時の大はらいも朱雀門で行われたことは、某の本などからも知られる。
考にいう。
この祝詞は、(本来、何と呼ぶべきか。)式では「大はらいの詞(ことば)」といっている。
古語拾遺では、「中臣のはらえの詞」。
某の本では、「中臣の祭文」。
祝詞は、中臣氏の宣(の)る詞(ことば)だからである。
今の世(真淵の時代)の人が、この祝詞のことを「中臣はらい」とのみいうのは、間違い。
中臣は祝詞を宣(の)り、はらいは、ト(うら)部(べ)(グループ、一族?)が行うもので、「中臣はらい」というと、はらいも中臣の行いのように聞こえてしまう。
式にあるように「大はらいの詞」というべきである。
後釈。
この祝詞は、某令に「中臣はらいの詞を読む」。
貞観儀式に、「はらいの詞にいわゆる…」とある。
考にいわれるように「大はらいの詞」と呼ぶべきこと、論ずるまでもない。
ただし、式にも何にも「大はらいの詞」と続けていう言い方はしていない。
祝詞式にも、六月晦日の「大はらい」とあり、「詞」の文字はない。巻のはじめに「祝詞」とあげているので、それぞれの祝詞には、ただ「某の祭」とのみ記されている。
考で、式に「大はらいの詞といわれている」というのは、思い違いである。
また、この祝詞は、「大はらいの祝詞」ともいう。
某式、某式にもこれを「祝詞を読む」とある。
これも、神に申す詞だからである。
万葉十七の歌に「中臣の太祝詞言(ふとのりこごと)いいはらえ」とある。これは、「太祝詞言」を、中臣が、いいはらえという意味にも釈(と)られるが、「中臣の太祝詞言」をいいはらえといっているのである。
さて、この祝詞、某記、某記にも「中臣のはらえ詞」とある。
大神宮年中行事には、「中臣はらえの祭文」とある。
「祭文」とは、中昔にこうした読み唱える詞の類をすべてそう呼んだらしい。
「中臣はらい」とのみいわれたのは、いわれて久しく、世の人のいたく誤解しているところである。
考に、はらいは、ト部のする行いで、中臣の行うことではないとのみいわれているのは、なお説明が足らない。世の人の「中臣はらい」とのみいい、この詞=はらいと思っているのは、誤りで、そのことは、以下にいう。
※古伝「中臣」を説明したヵ所。
万葉十七に、読みが「ナカトミ」と書かれている。
名の意味は、中執臣(なかとりおみ)である。
某という記録に云々とあるように、祖アメノコヤネから、神と君とのみ中を執(と)り持って申す仕事(つかさ)であったことに由来する。
つづく