○「かく出でば天つ宮ごともて」
考。
皇祖神(すめろぎ)の詔(みことのり)をまつって、宣(の)るのりとの言葉である。
紀に「スサノオに千座の置戸の解除(はらえ)を負わせ、手爪を吉(よ)しきの棄物(はらいもの)とし、足爪を凶(あ)しき棄物(はらいもの)となし、アメノコヤネにその解除(はらえ)の太のりと辞(こと)を宣(の)らせたまう」とあるこれである。ここの詞の前後にもこれをもとにして書かれていることあり。
頭書。
宣事を、本に宮事とある、古代例なき言葉である。宣の字を誤ったこと明らかである。
後。
天つ宮事とは、高天原の空照らすの朝廷で、行われる儀式に倣い、そのように行われることをいう。
すべてこの国で、御子孫(すめみま)の朝廷の儀式も何も、みな天上(あめ・空の国)の朝廷に倣い、行われる。
天つすがそ、天つ祝詞などあるも、こうした種々(くさぐさ)の物も、天(あめ)にある宮殿で用いられる物になずらえられるのである。
考に、宮の字を宣に改めること、御先祖(すめろぎ)の詔云々といわれること、宣事は、御先祖(すめろぎ)の詔事(のりごと)ということか、うけたまわって宣(の)る人の宣事か、まぎらわしく、どちらか分からない。
もし、御先祖(すめろぎ)の詔ならば、その名を挙げるべきだが、ただ天の宣事というのは、聞かれない表現。
御先祖の詔によりてすることは、「云々のみこともちて」といい、「宣事もちて」という表現の例はない。
もし、うけたまわってのる人の宣事であれば、下に続く文を拙(つたな)く重ねるもので、文筋が整わない。
いずれにしても宣事ではないと思われる。
天の宮との言い方、例あり。
○「大中臣(おおなかとみ)」
考。
アメノコヤネから始まり、神事を掌る官を中つ臣という。そのつ、おを縮めて、なかとみという。
これは、神と君との中を取り、よろしく申し請(こ)う意味である。斎(いつ)きのみこを某詞に、「御杖代とたてまつりたまう御命を大中臣厳矛(いかしほこ)中取り持ちて」とあるこれである。
紀に「大臣の遣わせる群卿(まちきみ)たちは、厳矛(いかしほこ)中取る事のごとく、申し請(こ)う人たちなり」とあるのもことは同じ。
大中臣というのは、すべて天皇の大み事に関わるのを、大某という例で、ただもろもろの神に仕えるのではなく、神祈官で直に神と君との中を申し請(こ)うために、大中臣というのである。
古代、大政をすべ掌る人の連(むらじ)の職(かばね)を大連、臣のそれを大臣といったことを大ということと似ている。
ただし、大連、大臣は、職(かばね)についていい、大中臣は、わざについていうものである。
頭書。
この中つ臣の職、アメノコヤネの子孫が伝え来て、遂に中臣氏となった。この詞またかの某詞の大中臣は、古代のように神事を掌る職についていったものである。中臣氏ということではない。
また、云。
中臣氏となり、後に某年の詔に云々とあると続日本紀にあり、大中臣氏というのはこれからである。後までもなお、官の中臣と、氏の中臣との区別ある。
後。
中臣という職の内容は、考のとおり。ただし、この名は、中つ臣(なかつおみ)ではなく、中執臣(なかとりおみ)の縮められたものである。
考にいわれたように、後まで、職をいうと、姓をいうとの区別がある。しかしながら、中臣氏の人は、みな中臣の職であり、その区別はなかった。
職員令の神祈官の下にも、神部三十人、ト部二十人などはあるが、中臣という者は挙げられていない。
式にも、ト部をおくことはあるが、中臣ということは見えない。
中臣女という職も、中臣氏の女である。
また、中臣官といわれることがある。それは、中臣氏の中に神祈の副祐史などの官である人をいう。
大を添え、大中臣ということも、考にいわれた心ばえである。もろもろの巫(みかむのこ・神に仕える職?)の中に神祈官の八神を祭るに、殊に御巫というと同じ。
祈年祭祝詞に、ほかの某などの巫を、御巫(かむのこ)と書き、神祈官のを大御巫と書くこれである。
○「天つかな木(かなき)を」
考。
天つというのは、そのもと天つ神事であるので、かしこみていっているのである。
かな木は、某紀に「兵がつかなきで戦った。」とある。つなかきは、若木(しもと)を棒としたもので、握之木という意味である。大きくなく、手に取るばかりなる木のよしである。このつかなきのつを省き、かなきという。
頭書。
和名抄の刑具部に鉗(かなき)とあるが、ここにいうかなきとは異なり云々。刑具をはらい柱の置座にしたりすること、例はなく、もとより穢されたものを用いるはずもない。
後。
かな木のこと、考の説のごとし。某の文にも、「かなきで、鐘を撞く」、注に「かなきは、小木枝なり」とある。
考に、つかなきのつを省いたとあるのは、本末違って、かなきがもとの名である。某紀につかなきとあるのは、握(つか)なきで、手に持って戦いなどする、今の世の棒である。かなきは、細い木のすべての名で、その中に手に取り持つかなきを、握なきの意味から、つかなきといったのである。
和名抄に、刑具の鉗をかなきとしているのは、考(の省略した箇所)、にいわれるように、もとは、小木を用いたが、後に鉄に変わっても、名は古代のままかなきといったもの。しかるに、ここのかな木を刑具と心得るのは、誤り。
○「本(もと)打ち切り。末(すえ)打ち断ちて」
考。
本(もと)と末を切り棄て、中ほどのよい所を物の置き座(くら)とすることをいう。
これは次の天つ宮そを云々と、それに対していう文である。記某の段に「いそ隠くる山のみおの竹を本(もと)き刈り、末押しすり云々」、某紀の「云々もとうち切り末うちたち」など古文の例である。
後。
切りも断ちも同じことだが、言葉を変えていうのは、表現である。この次に置座に造ることをいわなければ、言葉足らぬようだが、造るといわず、ただ千座の置座に云々といい続けるのは、古文のさまで、こうした表現多い。
○「千座の置座に置きたらわして」
考。
置座は、右のかな木である。木工寮式に、云々とある。その頃は、割木を用いたか、上代には、若木を用いたためにかな木といった。しかし、この式により、上代の置座の形を知るべきである。置き足らわしとは、贖物を多く置くことをいう。神代紀に「これに科すに千座置戸をもって、遂にせめはたる云々」とある、これである。
後世には、罪の重き軽きにより、祓柱を出させるに、上つ祓下つ祓などいって、贖物の数に多少のしなあり。格式に詳しい。
後。
置座は、人々の出した祓(はらえ)つ物(お祓いに用いる物)を、取り集めて据え置く台である。その形は、木工寮式によると、考にいわれているように、細い木の本(もと)(根元?)末(すえ)(枝?)を切り去ったものを、束ねて結った物と聞こえるが、そうした物であれば、いくつも連ねて並べないと、物を置く台にはならないのではないか。
これは、思うに、木工式に記されているのは、後のことで、その型ばかりを残したもので、上代の置座(おきくら)は、別に造り方があったのかもしれない。
それは、思うに、細い木を並べて編み、机などのように造ったものではなかったか。詳しきは知りがたい。
千座(ちくら)とは、その置座の数の多いことをいう。
置き足らわしとは、置き満つることをいう。
祓物といわなければ、何を置くのか分からないと思う人もあるだろうが、上に「ここだくの罪出でむ」とあることで、各々その祓物を出すことは、いわずとも推測できる。ここもおのずとその祓物を置くことと思われるのは、古文の表現である。
この置くという言葉、ただ据え置くでもいいが、万葉十一巻に「あはなくに夕けをとうと、幣(ぬさ)に置(おき)に、吾衣手は又ぞつぐべき」とある。結句は、又つづきて幣(ぬさ)に置くべしというもので、この置くということ、今の世に物を質に渡すことを、質に置くという、置くに似て、同三巻に「
奈良の手向に置く幣は」などある類も、幣に奉ることを、置くといっているようであり、置座の置も、物を祓物に出すことを、置くというのであある。
○「天つそがそを」
考。
菅(すが)は、笠にもする菅である。この物を祓いに用いたこと、万葉十四に「木綿(ゆふ)だすき、かひなにかけて、天在(あめなる)、ささらのをのの、七ま菅(すげ)、手に取り持ちて、ひさかたの、天の川原に 出で立ちて 身潔(みそぎ)てましを」。
十五に「その佐保の川に、石(いそ)に生(お)うる、菅(すが)の根取りて、しのふ?草、解除(はらい)てましを」。
神楽歌に「中臣の、小菅(こすげ)を、割(さ)き払い、祈りしことは」。
などあるこれである。古代のはらいには、割いた菅を手に取り持ち、鹿などを払うようなわざをした。かの十四の歌の詞、祓いするさまを見るがごとしである。
この草を「すげ」というのは、穢れを払い放(そ)けるゆえの名である。万葉に「ま菅よし そがの川原、山菅のそがひ」など続けているのは、「すげ」と「そげ」と同じだからである。
「すがそ」の「そ」は、すべて割(さ)いて作る物の名で、「さき」の約「し」を「そ」と移していったものである。
木綿も、栲(ゆふ)の皮を割いて作るゆえに、万葉に、まそ木綿(ゆふ)といい、麻の「さ」も「そ」に通い、同じ言葉。菅も常にはただ菅とのみいうが、祓いには、割いて用いるために、菅そ(割)というのである。
さて、古書に、祓い物種々載せた中に菅はない。これを祓いに用いたことを疑う人もあるが、祓柱は、国の郡領以下戸々から出す物である。
式に、祓いに用いる物をみな挙げて、祝詞の料(しな)の布の短帳はあるのに、詞を書く紙筆を載せていないようなものである。
菅は、仕えまつる官人一人の手に取る物で、また斎(いつき)て作るものであり、その人の自らなすゆえに挙げられていないのである。
頭書。
いにしえに、祓いに菅を用いたこと、先の万葉などの歌を引用して、明かしたが、ある人の難じて、(そうしたことの論拠に)歌は用いがたしといった。
しかしながら、古代の歌は、後世のものとは違って、殊更に設けて(作って)詠むことがなく、いと正しい物である。
ただの書は、あるいは 伝えを誤り、あるいは、言を加え、などもされていて疑わしいものもあるが、ただ古代の本当のことを知るべきものは、歌のほかにない。
又云う。
麻は、青割(さ)きの意で、白栲(しらゆう)に対しての名である。栲(ゆう)を白幣(しらにぎて)、麻を青幣(にぎて)ということでも知られる。
後。
祓いに菅を用いること、考にいわれるとおりである。
「すげ」、「すが」という名は、この草、もとより清浄(きよ)き由(よし)ありてその名に負えるか。そのゆえに祓いにも用いられるものであるか。
または、清(すが)という言葉の音の通うためであるか。いずれにしても、清き意味に取りて用いられるのである。
考に、穢れを払い放(そ)けるゆえの名といわれているのは、誤り。証に引用された万葉の歌は、「そが」、「そがい」などは、「が」は濁音で、「すが」と音の通うことで連ねられているもので、放(そ)けの「け」は、清音で、(「そげ」ではないので)、通うよしない。
「すがそ」の「そ」は、「さお」の縮まったもので、緒なる物を何であれいう名である。その「さ」は「ま」に通い、真緒(まお)の意味である。こういうさまにいう「さ」の「ま」に通うよしは、別に詳しくいう。
※「緒」(一)糸、紐など。長くして物を結うべきものの総名。「言海」参照
麻(あさ)を「そ」といい、某麻(なにそ)とも書くのは、麻は主に緒にも用いられる物で、「を」ともいうのと同じ。これにても、「そ」は「さを」であることが知られる。
万葉九に、「直さ麻(ひたさを)」ともあるのは、直麻である。菅(すが)そというのも、菅を細くさいて、緒にした物であるためで、菅(すが)さ緒(お)の意味である。
考に、割(さき)の約「し」なるを「そ」というといわれているのは、いと遠い。引用された万葉の「まそゆふ」も「まさをゆふ」である。割(さ)いたものの意味ではない。
麻を青割きというのも信じがたい。麻は、青その意味であるか。
また、式に大はらいの用物を挙げられている中にこの大中臣の取り持つ菅その記述がない。それは、この祝詞は、古代の文のままであるためで、今の京となっての頃は、菅そを取り持つことは、既(はや)くになくなっていたかもしれない。
このほかにも、祓いのわざ、古代と変わったこと多い。もし、いにしえのごとく用いられるのであれば、必ず式に挙げられているはずである。
考に、この物は、その人の自らなすゆえに、挙げられていないといわれているのは、そうではない。これは、自ら作るものではない。また、詞を書く紙と筆とは、同じ例にいうべきことではない。
○「本(もと)刈り断ち、末(すえ)刈り切り」
考。
かな木に対していったもの。
○「数條(やはり)に取り割(さ)きて」
考。
八は、弥(いや)であり、菅を細かく割くことをいう。それは、針で割くものであるために、八針という。刀を用いる物をいく刀に切るというのと同じ。
頭書。
これを、あるいは、麻を八方に引いて、天の四方八面に例えるといい、または、刑の縄を解き棄てる例えなどというのは、外国風の解釈により、陰陽師などのしたわざである。後には、それが信じられ、江家次第などにもあるのは、どうしたものか。
後。
某儀式帳に「百(もも)張りそがの国、五百(いほ)え刺す竹田の国」、某縁起に、「倭猛者の歌に、まそげ尾張(をはり)のやまと云々」とある。
これらを併せて考えると、「そが」は菅(すが)の意味に続けていること、「ま菅(すが)よしそがの川原」などのごとしで、「まそげ」も「ま菅(すが)」である。
百張り、尾張と続くのは、共に菅についてのことである。
そうすると、張とは、菅の繁(しげ)く生(お)いたることをいい、意味が移って、その葉一條一條(ひとすじ)を一張二張(ひとはりふたはり)といい、菅に限らずそういうようになったものか。
紀に「麻一條(あさひとたばり)」とあるのも、「た」の字は添えられているが、同じ「張(はり)」であるか。
これらをもって思うと、ここも「針」は、借字で、菅の葉を細かく数條(やすじ)に割く意味であろうか。
針で割くことを、八針(やはり)にというのは、状態が違う。
いく刀に切るというのも、事異なる。もし、例とするときは、針を八(数)度用いて割(さ)くことになる。
この次の文で、この菅を取り持つことがいわれるべきだが、省かれているのは、例の古文のさまで、先のかな木を置座(おきくら)に作ることが省かれているのと同じ。
考。
ある人いわく。祓いには、一撫一吻のことあり。解縄のわざあって、それにより、息吹放ち、さすらい、とも綱解放、天つかな木、八針などの言葉がある。」
答える。「既にいったように、祓身濯は、神代に始まり、そのようなわざは、古書にはまったくないもので、後に添えたわざである。大み手で撫で、大み息を吹きかけられるということは、古代あったかもしれない。しかし、さすらいを、摩(さす)るという解釈はしない。
また、かな木を刑具とするのも、誤りであること、既にいった。
江家次第に「祝師、座に就き、祓いの詞八張に及ぶに望み、縄を解き了(お)え、祓い了え云々」、また、平野祭に「祓い清めというところに至り、人形をもって撫でさせたまい、中臣祓い(詞)の八張に取り割きというところに至り、縄を解きたまい終え、宮主退出」とある。これらは、中頃、陰陽師などの付け添えたことと思われる。
すべて後代の人、皇朝の古書をよく見ず、他国の書を見て、みだりに付け合わせた。古代のことをよく学ぶべきであったところを。
○「天つ祝詞の太祝詞事を宣(の)れ」
考。
事は、言である。古書には、言と事を区別せずにい書かれているのは常である。
この大祓詞は、既にいったように、清御原宮などの頃に作られたが、神代のことを主(むね)と挙げられており、天の岩戸の前で、コヤネの宣(の)りし詔賜言(のりたべごと)になずらえ、天つのりとというのである。
ここに大中臣といい、置座(おきくら)、菅(すが)そのことを挙げ、祝詞を宣(の)るとあるのは、その中に、大中臣の下に在り、祓いのわざをするト部なども含めた表現と思う人あれば、それはそうではない。
そもそも、ト部のトをなし、祓いをなすことは、大宝令にこそ定められているが、上代にはなかったことである。
記日本紀にあるように、よろずの神事は、みな中臣と忌部の祖たちが執り行ったものである。そうすると、この文も上代のさまをもって書かれているので、たとえ当時は、中臣の人貴く、下司にわざをさせていても、なお、大中臣のするようにいい、後のことには触れていないはずである。
頭書。
のりとに祝詞の字はよく合わない。作られた頃は別の字を書いたものか、なお後に外国風に書かれたものであろう。
古事記のように、天つ詔戸のふと詔戸言とこそ書くべきである。
また、云う。
ある人、「祝詞は、神に告(の)る言である。これは、人の身濯祓のことで、祝詞とはいわない。詞とのみいう。されば、ここに天つ祝詞とあるのは、別に神代から伝わる言葉のあるはずだ」というのは、誤った説である。
この文、上に皇祖神(御先祖)の詔を挙げ、ここに至り、”ふとのりと”といいっている。どうすれば、詔詞という解釈になるのか。かの祝詞の字、賛辞と注したことなどをのみ守り、詔賜言(のりたべごと)の意味であることを理解しないのは、なぜであろうか。
後。
のりとごとは、宣説言(のりときごと)である。その理由は、古伝に詳しくいった。
すべて、「のる」という言葉は、意味が広く、上に申すにも、下に言い聞かせるにも、使う言葉である。
詔、宣の字などは、上から下に言い聞かせる意味となる。すべて皇国言と漢字と、完全には合わないのを、合うところを充てる例多い。
詔、宣などの字にこだわるべきではない。万葉に、告、謂の字をも、「のる」として用いられていることを考えるとよい。
「とく」も同じことで、上に申すも、下に言い聞かせるにも用いられる言葉である。これも、説の字にこだわるべきでない。
のりとごとは、神に申す詞である。言を省き、のりととのみもいう。
天つは、天つかな木、天つ菅そなどの例のごとし。
太(ふと)は、めでたいことを、美称(ほめ)ていう詞。太占(ふとまに)、太玉串(ふとたまくし)、太玉(ふとたま)のミコトなど、みなその意味である。
「とう(ふ)と」という言葉も、尊、貴などの字を当てるのは、例の合うところを合わせたもので、もと、太(ふと)に多(た)を上に添えたもので、同じ意味である。万葉には、「めでたい」ことを、「とう(ふ)とし」といった例多い。
神は、詞のうるわしきを愛でたまう故に、すべて祝詞は、言葉を美麗(うるわし)く綴る物で、「ふとのりとごと」というのである。
※尊い(めでたい)宣説(のりと)き言(ごと)をの意味か。
ここに、いわれる太祝詞事は、大祓いに、中執臣の宣(の)るこの詞を指すのである。
考にも引用されているように、神代紀のスサノオ(進む男)に、解除(はらえ)を科(おわ)せた箇所に、「アメノコヤネをその解除(はらえ)の太諄辞(ふとのりとこと)を掌り、宣(の)ら使(し)む」とある。
これは、祓いの祝詞を中臣が宣(の)ることのもとである。
四時祭式に「ト部読む」とある。これは、”中臣”とあったのを後の人が個人的に改めたもので、当然誤りである。
「のれ」というのは、仰(おほ)する言葉であるが、ここは、仰するのではない。しかしながら、ここはこういう表現をする語の運びである。
※「仰(おほ)す」言う。言い付くの敬語。「言海」参照。
考の初めにいわく。「「のりとごと」という言葉の意味は、かむろぎ(神皇祖、御先祖)高木の神が詔賜(のりたべ)し、御言(みこと)を承(うけたまわ)り、コヤネのミコトが、天の岩門の前で、宣(の)り申したもので、記に詔戸言(のりとごと)と書かれている。しかれば、「のり」は、皇祖神の「みことのり」である。戸は、借字で、賜(たべ)(賜るの意味?)と崇(あが)める辞(ことば)である。その「たべ」を縮めると「て」であるところを「と」と移していっているのは、音便の常である。」
この説は、いといと信じがたい。
これは、「のり」を「詔」の字などの意味と、思い込んでの解釈である。「のり」は、先にいったように、上に申す意味もあり、告の字をも多く書く。祝詞の「のり」は、神に申すよしの言葉である。
詔、命の意味ではない。
記は、特に文字の意味にこだわらず書かれた書で、詔戸の字にこだわるべきではなく、かのアメノコヤネが天の岩屋戸の前で、宣(の)りたまいし祝詞も、皇祖神の詔命を承ったものであるということ、記紀などの伝えにはない。
すべて、その時のことは、皇祖神の詔命によることなし。みな八百万の神が集まり、議(はか)ってなしたことである。
記紀を見て知るとよい。
そのほか諸(もろもろ)の祝詞、皇祖神の詔を承りて、宣(の)るということ、物に見えたることなし。
皇祖神の詔命で物することを、「某の命以って」とは表現しても、「のりとごと」という例はない。たとえ、皇祖神の詔を受けて宣(の)ることがあっても、その承る人の宣(の)る詞を、単に詔賜言(のりたべごと)ということはないであろう。
もし、これを皇祖神の詔賜言とするときは、ここの語、皇祖神の詔し御言葉をそのまま真似び言うことになるであろう。
このように、考には、のりとごとのもとの意味を、思い誤り、皇祖神の詔賜言と定めて説かれているために、すべて当たらぬこと多い。
祝詞の字も合わないといわれているが、この字は、のりとごとによく合う字である。
紀に、太諄辞(ふとのりと)と書かれている「諄」の字は、告げさとすの熟なりと注釈されている。これからも、詔賜言(のりたべごと)の意味ではないことが、知られる。
文字にこだわるべきではないことは、もとよりのことながら、書紀などは、文字によって、その言葉の意味の知られることも多い。
○「かく宣(の)らば、天つ神は天の岩戸を押し開きて、天の八重雲をいつの千分(ちわ)きに千分きて聞こし召さむ」
後。
天の岩戸は、天(空の国)の神のいらっしゃる殿(住まい)の門である。岩というのは、上文にある天の岩座の類で、堅固(かた)い由(よし)の祝い言葉である。
御門の神の名を、石真戸(いわまど)というのもこの意味である。
いつのちわきに云々は、後にある「いぼりをかきわけ」と、同じ心ばえである。ただし、「ちわき」は、ここには、少し合わない詞である。
聞こし召さむは、大中臣の宣(の)り申す、この祓いの祝詞をお聞き入れになるということである。
○「国つ神は、高山(たかやま)の末、短山(みじかやま)の末に上(のぼ)りまして」
考。
短山をみじかやまと読むのは、誤りと某が言われた。これ、考えるに、記に、カグツチの殺された身が、八つの山つみ(神)となり、その頭がなったのは、マサカ山つみ(神)、胸は、オト山つみ(神)云々とある。そうすると、短山は、オト山に当たり、読みもそう読む。
末は、山の上のことで、麓(ふもと)を山本ということに対する称。
頭書。
高いは低いに対して、短いは、長いに対する言葉であり、ここに高山に対して、短山と書かれているのは、みじかと読まないことを知る古人の筆である。
後。
短山は、字のままにみじかやまと読む。
高きに対して、短かということ、中昔の言葉に、貴賎を高き、短きといわれること多く、源氏物語に、位短かくてとある注解に、河海抄に位卑(くらいみじかく)云々とある。
令の昔の本にもある。紀に卑地をみじかきところと読む。
これらを見ると、古代から、低きをみじかしといえる。考の説当たらず。
もし、古代に低きを短しということなければ、何の由(よし)に短山と書かれているか。漢文に、高に短と対していわれた例もないところに、短と書くのは、古言でみじかやまといったためである。
それを、短山と書いたのは、みじかと読まぬことを知る筆とは、逆である。すべて、祝詞の文字は、大方読むべきままに書かれたもので、万葉、書紀などのように難しく理(ことわり)をもって、あらぬ字を書かれているものではない。
もし、オトやまであれば、短とは書かないはずである。オト山のことは、記伝五の巻にいったが、もとより、短山には、当たらない。
なお、いえば、もし、高きに対して、みじかということがなければ、高きに対して、オドという例もかつてないのではあるまいか。
○「高山のいぼり、短山のいぼりをかき分けて聞こし召さむ」
考。
いぼりは、雲霧をいう。それは、その山の気ののぼるもので、気騰(いきのぼり)ということを、省いた言葉である。常に、煙にいぶりといい、物のいきぼりあがるなどいうのも、みな、気のおこり立つことをいい、同じ古言である。
さて、この「ぼ」は、もと濁言(音)だが、後世、いをりのように唱えたのは、音便である。また、思うに、五百霧(いほりきり)を省いていわれたものでもあろうか。
頭書。
庵(いおり)の意として、神社をいうとの説あるが、当たらない。庵も神社もかきわけというべき由(よし)なし。
後。
いぼりは、考にいわれているように、雲霧の類をいう。ただし、気騰(いきのぼり)の省きといわれているのは、誤り。五百霧然り。
ただ、俗言に、煙などのいぶるというのと同じく、すべて、物のおぼろにして、明らかでないこと(さま)をいう言葉である。
いふかし、おぼろなども、いぼ、いぶ、おぼみな通音で、もと同じ言葉である。
万葉におほほしく、いふせし、いふかしなどの言葉に欝、欝悒と書かれているのは、ここは、雲霧などの立ち隔たり、欝(おほほ)しきをいうものである。
万葉四に「朝居る雲の欝(おほほ)しく」、十に「春霞(はるがすみ)山に棚引き欝(おほほ)しくなどある。
ほの清濁は、おほろ、おほほしい、ふかしい、ふせしなど、の「ほ」も「ふ」も今は、みな濁りて唱えるが、古代には、みな清音であったのではあるまいか。
万葉に、多くは清音の仮字を用いられている。
しかれば、このいほりのほも清(すみ)て読むべきか。されど、濁るのもわるくはない。
上文に「八重雲を分け」といい、ここに、こういわれる、ともにこうした類の物の立ち隔て障る(さえぎる意)を、分けはるかして、定かに(確かに)お聞きになるという意味。
また、「山に上(のぼ)られて」というのも、高い所では、物のよく聞こえるがためである。
高山とのみにても足れるところを、短山ともいわれているのは、古語の表現である。
○「かく聞こしめしてば」
後。
「てば」は、「てあらば」の意で、この言葉万葉に多い。後世には、「てば」ということ、聞きなれないために、みな「ば」を清(す)みて、「ては」と一つになった。「は」を清(す)むときは、「ては」の意、濁るときは、「てあらば」の意で、区別する必要のある言葉だ。
○「皇御孫のミコトの朝廷(みかど)を始めて」
考。
みかどとは、まずは、
宮城門の内をいえど、ここは、京城門の内までを、兼ねていう。次に、四方の国をいわれているからである。
後。
朝廷は、ただ、朝廷である。考の宮城門、京城門の説は適(かな)わず。すべて、みかどという名は、そのもとは、
大宮(殿)の御門(みかど)から、出でた言葉である。古代から、朝廷の字の意味にいうのは、常のことで、御門には関係ない。もし、御門の意とすれば、ここは、「朝廷(みかど)の内を始め(とし)て」と表現すべきで、「御門を」とすると、御門のみの意味になり、その内のことにはならない。
○「天の下四方(よも)の国には罪という罪はあらじと」
考。
諸人の罪の多少に従い、祓柱を出させ、天つ伝えのままに、太詔戸言を宣(の)れば、天地のよろずの神たちが明らかにお聞きになり、承諾(うつな)いたまう。そうすると、その罪は、祓い棄て、身濯(みそ)ぎして、流す物とともにみな失(う)せて、今から後、天の下に、遺(の)こる罪はあらじという意味。
後。
「罪という罪は」とは、罪という限りの罪は、一つものこさず、ことごとくという意味である。不在(あらじ)は、みな消失(きえ)て残り不在(あらじ)である。
この大祓は、百官の祓いで、天の下までは、いったものではない。天の下、四方の国までをいわれているのは、先にもいったように、この祝詞は、天下の大祓いの祝詞で、百官の大祓いにも、そのまま兼ね用いられるためである。
上文に「成り出でむ、天の益(ま)す人らが云々」とあるのも、天下の万(よろず)の民のことをいっている。
○「科戸の風の」
考。
紀に「イザナキは「わが生んだ国、ただ朝霧のみ薫(かお)り満ちているなあ」といい、吹き払ったみ息から化(な)った神の名をシナトベ、または、シナツヒコという。これ風の神なり」とあることから、後にシナトの風といった。
頭書。
事を省き、シナトの風というのは、上代の言葉ではない一つの証である。
後。
頭書にいわれていること、当たらず。事を省くとは、かの神の名のベ、もしくは、ヒコということを、省いたものだという。
すべて、神の名もことにより、省いていうこと、上代からある。
そのうえ、これは、シナトは、もとより風のことで、それを神の名に負わせたことも知りがたい。
そもそもこの神の名、記には、シナツヒコとあれば、「トベ」は女の名に多い。この祝詞にシナとあることを合わせて思えば、神名もシナトトベであるのを、同音の重なる言葉は一つを省く例多く、シナトベという。
されば、シナツヒコの「ツ」も「ノ」に通う「ツ」ではなく、「ト」の通いである。かかれば、シナトというのも、必ずしも、省いた言葉ともいいがたい。なぜ、上つ代の言葉にあらずと定めたか。
○「天の八重雲を吹き放つことのごとく、朝(あした)のみ霧、夕(ゆうべ)のみ霧を朝風夕風の吹き掃(はら)うことのごとく」
考。
「み」は、あるいは、誉める言葉、あるいは、強くいう言葉である。
み霧は、深い霧の意味で、強く表現しているのである。
頭書。
「み」を深きことにいうのは、移した用いざまで、後世に、み山を深山と書くなどは、古代になきことで、行き過ぎた書きざまで、言のもとを知らない後の人のしわざなり。
後。
み霧は、ま霧で、さ霧というのと同じ。さ衣、さ夜などの「さ」は、みな「真」と同じこと、これにてもさとるべし。
朝風夕風は、
あさかぜゆうかぜと読む。
○「大津辺に居(お)る大船を)舳(へ)解き放(はな)ち、艫(とも)解き放(はな)ちて」
考。
大津は、八百の船の
泊まる港である。舳、艫の下に綱の字のないのは、書き落とし。
後。
大津辺は、おおつのべとも読むが、おおつべと読む。
おるは、泊まりいることをいう。万葉十四に「さきたまの津におる船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」とある。
舳(へ)解き放ちとは、泊まりいるときは、舳、艫を繋いでおいたのを、解き放つのである。考に、舳綱、艫綱と、綱の字を補い、この字の落ちているといわれるが、式の本にも某にも、綱の字はない。この字のあるのは、後の人の賢(さか)しらに書き加えたもの。
綱といわなくても、分かる表現である。
○「大海原に押し放(はな)つことのごとく」
後。万葉六に「大海(おおうみ)の原(はら)」とあることにより、読むべし。押し放つは、押し放ち出すのである。
○「彼方(おちかた)の繁木がもとを」
考。
繁木は、山にあり、山は都から必ず遠(おち)なるよしにて、彼方(おちかた)という。万葉に「山遠き京(みやこ)にしあれば」、「彼方(おちかた)の赤土(はにう)の小屋」とあるのも、都を離れた山里の意味である。
頭書。
ある人、この彼方(おちかた)を地の名といい、遠くをいい、近くを兼ねていうというのは、誤り。
後。
彼方(おちかた)は、俗言に「かなた」ということである。すべて、お(あ)ちこちは、あちらこちらということで、もと彼此(かれこれ)の意味。遠近と書くのは末の意味。
ここに彼方のといわれるのは、ただうち見渡したところをいい、彼方(かなた)のということ。
斉明紀、万葉、古今集に例ある。
おちは地の名ではない。彼方(おちかた)のである。
ここは、「繁木がもと」で言葉足りるが、彼方のといわれているのは、いらないように思われるが、古文の表現である。
考に、都から遠(おち)なるよしといわれているのは、先の古書などの例を考え合わせていないのである。
「繁木がもと」の「もと」は、末に対していう「もと」とは、少し異なる。ただ木立をいうものである。
※「木立」(こだち) 樹の生(お)い立ちたる地。林。「言海」参照。
先生の説に、木立を「もと」という、木の数を幾本というのもこれである。
(しもと)も繁本である。
某紀に「本毎(もとごと)に花は咲けども」、万葉十四に「生(お)う 繁本(しもと)このもと山の」これらみな本(もと)は、木をいっている例である。
○「焼(や)き鎌の敏(と)鎌もてうち掃(は)らうことのごとく」
考。
焼き鎌とは、焼いて刃を作るためにいう。
万葉十八に「焼刀(やきたち)をと波の関」とある。これにより、「やき」と読む。「やい」ではない。
敏(と)は、利(と)きである。砥(と)の字の意にあらず。
記の倭猛者の「久方の天(あめ)のカグ山、利鎌(とかま)にさ渡る鵠(くび)弱細(ひはぼそ)云々」とある。ここも古言を用いたものである。
後。
焼などの類の「き」を「い」というのは、音便にくずれた後世の言葉。古書を読むときは、すべて「い」とは読まない。
物の譬えをいうに、後世には、ただしかじかのごとくという。ここに挙げられた四つの譬えはみな、云々の事のごとくと「事の」と添えている。これは、古言の例である。
古書の物の譬えをいわれている箇所を見渡して知るとよい。
ここにこのように、大方同じさまなる譬えを、四つ重ねて挙げられているのは、祓いにより、罪穢れの除かれ清まることの速やかに残りなきことを、確かに表現(あらわ)すために、かえすがえすいわれているのではあるまいか。
また、思うに、この次々、「セオリツ姫」云々から「サスライ姫」までの四つのことに、配(わ)かち当てたものであるか。
それは、「料戸(しなと)の風の云々」は、大海原に持ち出でたるを譬え、「朝のみ霧云々」は、持ちかか呑みを、「大船云々」は根国に気吹放を譬え、「繁木がもとを云々」はさすらい失うをそれぞれ譬えているものか。
こう解釈するのは、あまりにくだくだしい(細かい)が、かの次第も四つ、この譬えも四つであるので、試みに驚かしおくのである。
○「遺(の)こる罪はあらじと」
後。
上に「罪という罪はあらじと」といい、またここにいう「あらじ」が重なり、拙(つたな)く、語整わないごとくだが、然らず。
このように同じ言葉を再びいうのは、古語の例である。
上には、「罪という罪は」といい、ここには「遺(の)こる罪」とある。
上は、神たちの聞こし召し入れることにより、失せることをいい、ここは、遺(の)こりなくなる譬えから、続けていうために「遺(の)こる罪は」というのである。
※「あらじ1」聞き入れられ → なくなる。「あらじ2」そのさま=残りなく。ということか。
○「祓いたまい、清めたまうことを」
考。
物をよくなし得ることをたまうという。
後。
考に、物をよくなし得るをたまうといい、ほかに、たまうは、たねらう也といわれている。ともに理解できない。これらのたまうの使い方は、なおよく考えて定めるべし。
ここなどは、公事であり、上から祓い清めたまうと読むとそうにも聞こえるが、そうとも聞こえないところもある。
「ことを」の「こと」は、諸人の犯したる罪事(つみこと)を指していうのである。常にただ軽く添えていう「こと」ではない。
これを「罪事」と解釈しないと、下の「大海原に持ち出でなむ」、「かか呑みてむ」といわれているので、意味が合わなくなる。心つけてみるとよい。
○「高山の末、短山の末より」
考。
再びこういい、事を転(うつ)すのは、文の例である。
後。
考の説誤り。ここは、言葉は同じであるが、同じことを二度(ふたたび)いう例ではない。上なるとは、違うことをいった箇所である。
○「さくなだりに」
考。
広瀬祭の詞の下にもいわれるように、「くな」の略「か」で、逆垂(さかぐり)である。
後。
同詞にも、「山々の口から、さくなだりに下したまう水を」とあり、「さ」は、例の「ま」(真)で、真下(まくだ)垂(た)りである。
川水が、山から
落ちるさまをいう。そう水の落ちるところを、「くら」とも「たに」ともいう。「くら」は「くな」、「たに」は「たり」で、ともに「くな」「だり」から出た名。
谷を「くら」ともいうこと、古伝五、クラオカミの神の箇所にいった。
万葉十七にも例ある。
神名帳にある 某国某郡サクナドの神社を、桜谷ともいい、「くな」と「くら」と同じであることが知られる。
この神社は、勢多から二里ばかり下、鹿飛(しかとび)という所の滝の落口の東の岸にあり、このことからも、さくなだりの意を悟るとよい。
されば、「たに」も「くら」ももとは、水の下り落ちることから出た名である。
考に逆垂といわれたるは、理解できない。水はもとより下る物であるため、のぼることを逆登(さかのぼ)るというが、下ることは、逆(さか)とはいわない。「さか」をのばして「さくな」ともいわない。
○「落ちたぎ(つ)速川の瀬にます」
考。
「落ちたぎ」は、「落ち沸(たぎ)り」である。万葉に、滝を沸とも書かれている。仮字も、必ず「たぎ」と濁る字を用いられる。万葉に「堕ちたぎち滝つ速河」と多くある。
後。
「ぎ」の下に「つ」の字落ちている。こことは「たぎつ」でないと、下へ語が続かない。私の本には、「滝津」と書かれている。万葉九に、「落ちたきち流るる水の」などある。
「速川」(体言)に続くので、「つ」と読む。(後に続く語が用言ならば、「ち」。)
さて、この箇所、文いとめでたく、まことにいさぎよき心地がする。
考に「おちたぎち滝つ速川」と万葉にあるといわれているが、こう続けていわれている例はない。
○「瀬織津(せおりつ)姫という神」
考。
織は、借り字で、セオロシのロシを縮めて、オリと読む。川水の下る瀬にいらっしゃるゆえのみ名であるからである。
記に、「いざないの君の子、水戸(みなと)(川水の海に落ちる所、河、海の際)の神、速清明(はやあき)つヒコ、速清明きつヒメ、二人の神、河海に寄り、持ち分けて、お生みになった神」の中の水配りの神をいうか。
その理由は、ここに高山、短山の末から云々とあること、広瀬祭詞に「六御縣の山の口にます云々、山々の口からさくなだりに下ろしたまう水を」とあることを合わせて思う。また、この次の二神も、同じ大み神(いざないの君)が河海につけてお生みになった神であるからである。
頭書。
ある説に、この神を「空照らす」大み神の荒(あら)み魂(たま)というのは、由(よし)なし。
後。
この段は、古伝にもいわれるように、すべて、いざないの君のみそぎの段と合わせて説くべし。
まず、この神の名、「瀬織」は、「瀬下(お)り」で、かの神(いざないの君)の「中の瀬に下(お)り、潜(かづ)きたまう」とある意の名である。この神すなわち「禍(まが)つひ」の神である。
※「瀬」もともと川面の背の意か。
倭姫命世記に「荒祭の宮一座、皇大神の荒魂(あらみたま)、イザナギ大神(いざないの君)の生みませる神、名は、八十禍(やそまが)つひの神なり。一名は、瀬織つ姫の神これなり」とある。
この書は、後世人の集めなせる書で、すべては、信じがたいことのみ多いが、古書に拠(よ)ったと思われることもまた多い。
今ここに引用した説も、さらに後世人の思いよることのない説で、古伝説のあったものと思われる。
「禍(まが)つひ」の神を「瀬(せお)下りつ姫」というのは、かの
はじめて中(中流?)の瀬に降(お)り、潜(か)づきたまうときに生れたゆえで、ここに意味がよくかなっている。
ここは、祓つ物に負わせて、流しやる罪穢れをまず、受け取りたまう神なれば、かの中の瀬に下(お)り、よみの国の穢れを、まず濯(そそ)ぎたまえるに、よく当たれり。
そもそも禍(まが)つひの神は、世の中の凶事(まがこと)を生(な)し行う神である。
この箇所は、罪穢れをはらい滅ぼす始めであり、生(な)ると滅(へ)ると反対のことのように思われるが、これこそ、祓いの主意(むね)にて、深き理あることである。
祓いを行ない、罪穢れを清め流すのは、よみの国の穢れから起こった禍(まが)つひの凶事(まがこと)を、もとのよみの国へ、返しやるしわざである。
まずこの神が大海原に持ち出でたまい、次にあるように、次第に送りやり、終(つい)に根の国に至る。
これは、この神の生(な)し行ないたまえる凶事を、また同じこの神が受け取り、もとへ返したまうことになる。
これをよく味わい、祓いの理(ことわり)の深く妙(たえ)なることを知るとよい。
御門祭祝詞に「四方(よも)四隅より、疎(うと)び荒(あら)び来む、天の禍(まが)つひという神の言わむ悪事(まがこと)に、あいまじこり、あいくちあへたまうことなく」、道の饗祭祝詞に「根の国底の国より、荒らび疎び来む物にあいまじこり、あいくちあうことなくて」とある。
この二つと、かのいざないの君のみそぎの段を合わせて、凶事(まがこと)は、黄泉の国から起こり来たことを知るべきである。
また、この大祓いと、これらとを合わせて、祓いは、その凶事(まがこと)をもとのよみの国へかえし遣(や)るしわざであることも知るべきである。
この瀬(せ)(川面)下りつ姫から、次々は、祓いの主(むね)とあるところであるので、なおざりに見過ごしてはならない。
殊に心を留めて深く味わうべきである。
考に、織(おり)をオロシの略と説かれているのは、自他
の違いで、「おり」は自ら下(お)りること、オロシは、物を下ろすこと。
すべてこの類を言葉の延ばし縮めとして説くのは、自他を混同し、言霊の妙(たえ)なる用(はたらき)を失うことである。
ここを水配りの神をもって説かれているのも、誤り。水配りの神は、水を下(くだ)し、施したまう神であり、罪穢れを流し遣る祓いには、関係ない。
また、この神を大み神の荒み魂なりというのは由(よし)なしといわれているが、禍(まが)つひを空照らすの荒み魂とあること、よしなきにあらず。
そのことは、古伝六にいった。
○「大海原に持ち出でなむ」
考。
祓つ物を流しやるを、この神が沖へ持ち出でたまうのである。
○「かく持ち出で往(い)なば荒潮(あらしお)の潮の八百道(やおじ)の八潮(やしお)道の の八百会(やおあい)に座(ま)す」
考。
大海のはるかの沖に、潮道(しおじ)というあり、滝より疾(と)く、東へのみ流れるといわれる。
それは、いずかたにもあるが、その八百会(やおあい)までは、知るすべもないが、播磨、豊後日向なる潮道の行会をもって、他をも思いはかるべきである。
頭書。
荒とは、荒山、荒野なども同じく、世離れて、生(あれ)ながらある物をいう。八(や)は、二つ共に弥(いや)の意である。
そもそも南海の潮道に落ちた船は、留まるよしなく、遂に帰らず。この道八丈が島に当たれば、たまたまこの島によるときは、命生きる者もありと、この難に逢いたりし船人語りき。
後。
八百道とは、潮道の多くあるをいう。四方の海の内には、ここにもかしこにも、数多の潮道ある。
現に聞き及ぶ潮道も、国々の海にかれこれある中に、伊豆の国から、
八丈島へ渡る海中(わたなか)にある潮道、広さ二十町ばかりほど非常に早く東へ流れるという。
紀の国熊野の南の沖にもあり、東に流れるというのは、かの八丈の道なるものと同じ筋ではないか。
八潮道とは、上の潮の八百道を受け重ねていっているものである。
上には、八百といい、これにただ八(や)とのみいうのは、違っているように聞こえるが、八とのみいうときは、八十にも、八百にも、八千にもわたり、広ければ、八百潮道というのと同じである。
八百会(やおあい)とは、八百の潮道の集まり会う所をいう。
方々の潮道から流れ来る潮の一つ所に集まり会い、海の底へ巻き没(い)る所である。
さてここの文、このように同じさまなることを重ね続けて、長々しくいっているのは、殊にめでたく、上つ代の文で、さらに後世人のかけても及ばぬさまにて、いともいとも雅びである。
これらをよく味わい、古文のみやびやかなるほどを悟るとよい。
古今集に「海神(わだつみ)の沖つ 潮会いに浮かぶ沫の云々」。
○「速明(あ)きつ姫という神」
考。
古事記に、いざないの君が祓いしたまうとき、御冠を棄て、生まれた神の名はアキグイノウシ神とあるのに似ているが、そうではない。
「同大神、水戸の神をお生みになった。名は、速明きつヒコ、次に、速明きつヒメ」とある、これである。
水戸(みなと)は、水の門(と)であり、川の海に入り、開くところなるゆえに、開(あ)きという名であるのだろう。
その川水とともに流れ下る物を、潮道のまにまに行き、潮の行き会う所で、底へまきいれるのを、この神の呑むと表現しているのである。
しかれば、この神は、水門(みなと)の水の行き至る限り、知り坐(ま)すよしにて、潮の八百会に坐(ま)すともいえる。
※「坐(ま)す」在り、居(い)るの敬語。「言海」参照。
後。
これは、かのみそぎの段に生まれたイヅノメの神である。
そのイヅは、アキヅの縮まりたる名で、すなわちかの速明(はやあき)つひこ、速明(はやあき)つひめと同じ神である。「あき」は、明(あき)づの意味で、明(あき)とは、みそぎにより、清らかに清まりたるよしの名である。
これらのなお詳しいことは古伝五、六にいった。
※古伝五。
「速明(はやあき)彦、速明(はやあき)つ姫」
紀には、速明(はやあき)つひのミコトとして、一人である。明(あき)つひと赤土(あかづち)とは、語通い、清明(あか)き意である。黄泉の穢れを速やかに祓いすてて、清らかに明らけきをいう名である。
(続紀の宣命に、明き、清き、直き、まことの心持って云々。すべて清きを赤きということ、赤き心など、古言に例多し。)
明(あき)つ神というのも、意は少し違うが語は同じ。
後釈に戻る。
) 速明(はやあきつひこ、ひめは、記に水戸神とあるを、ここに潮の八百会にいらっしゃるといわれているのは、いたく場所が違っているが、これに深い理由がある。
それは、潮の八百会は、この顕(うつ)し国の海上の境であり、根の国の方へ、潮の没(い)り行く門口(とぐち)なれば、これまた、彼方の水戸である。
常にいう水戸は、川から海へ水の出る口、潮の八百会は、海から入り、根の国の方へ、水の出る口であれば、こちらにて、川から出る所と、彼方へ出る場所(ところ)との違いこそあっても、ともに同じく、水戸であること、古い伝えの趣の妙(たえ)なること、かくのごとし。よくよく味わうべし。
考に、水門(みなと)は、川の海に入りて開く所といわれているのは、いかがか。開は、ただ 借り字で、明きの意である。
また、潮のまにまに行ってといい、水門の水の行き至る限り知り坐(ま)すなどというのは、水戸の神とあること、潮の八百会(やおえ)にいることの場所の異なることを、強いて一つに説き合わそうとしての強(し)い言(ごと)である。
それは、水戸の神でなく、ただ海の神である。また、八百会に座(ま)すとある、座(ま)すにも意味が合わない。
○「持ちかか呑みてむ」
考。
「持ち」は、軽く添えたる言葉である。神代紀などに例多し。
「かか」は、水を呑む音である。すべて物を呑み、物をかむ音を、かふかふとのむ、かりかりとかむなどいう。この類多し。
頭書。
かかとして、呑む音というと、俗言と思う人もあるであろうが、すべて物のなる音をいうに、雅俗はなし。つよく泣くとき、喉のなるを、よよとなくといい、高くさやかに笑うをからからと笑うというなど、ほかにもなおこの類多し。
後。
「かか」の意味は、考の説のごとし。
さて、祓つ物を、潮とともに、海の底へまきいれるのは、実にこの神の呑みたまうのである。しかるを他国の本のいわゆる寓話のごとく理解するのは、やまとだましいにあらず。それは、例のさかしらな心からである。
さて、そのように呑みたまい、顕国(うつしくに)の罪穢れの除かれ、清まる、これ、イズノメの神に正(まさ)しく当たれり。
なお、古伝六、この神のことを考え、その理(ことわり)を知るとよい。
※古伝六。
「イヅノメの神」「イヅ」は、既に汚垢(けがれ)を濯(そそ)ぎ祓い、明(あか)く清まりたる意にて、明(あき)づの縮められた言葉である。
「イヅ」の言葉の例は、云々あり、これらはみな、神を祭る時のことで、斎(いわ)い清浄(きよ)める意をもって「イヅ」という。
斎忌(ゆき)、斎庭(ゆにわ)などの斎(ゆ)も「イヅ」と同意で、語ももとは一つである。
そうすると、この神は、禊(みそ)ぎにより、穢悪(きたな)き禍(まが)を神直び、大直びに直し、清めて、直く、清く明くなれる御霊(みたま)である。(今の世の言葉にも、何でもよからぬことの尽き終わるを、明(あ)くというのは、この意にかなう。)
「禍(まが)つ御霊(ひ)」から、「清明(いづ)のめ」まで、次々に生まれた義(こころ)を、詳しくいうと。
まず、世の中にあらゆる凶悪(あし)き事は、みな黄泉の穢れから、起こるものである。古代、よろずの(あし)き事を、すべて穢(きたな)しとも禍(まが)ともいった。紀に、黒心、濁心、悪心など書かれているのは、いずれもきたなきこころと読んだ。
よろずの事に凶悪(あしき)を吉善(よく)なすを「令直(なお)す」といい、吉善(よく)なるを「直る」という。(この語は、今の世まで古意(いにしえごころ)を失わず、よろずのことにいう。)
上文に汚垢(けがれ)を濯(そそ)ぎ清めることを、その禍(まが)を直すとあり、かくて、世の中にあらゆる吉善(よき)事は、みなこの禊(みそ)ぎから起こるものである。(日の神の生まれた所を考え合わせるとよい。)
古代には、よろずの吉善(よき)事をすべて明(あ)かしとも、清しとも、直しともいう。
黄泉の穢(けが)れに因り、まず世の中の諸々の禍害(まが)をなしたまう「禍(まが)つ御霊(ひ)」が、初めに生まれ、その凶悪(けがれ)を濯ぎ清めようとして、世間(よのなか)の諸々の凶悪(まが)を吉善(よき)に直したまう「直御霊(なおび)」の神、その次に生まれ、さて、濯ぎ清め終えて、吉善(よ)くなれるときに、「清明(いず)のめ」が生まれたのである。
○「かくかか呑みてば息吹戸に坐(ま)す」
考。
物を呑むと、必ず息吹(いぶき)するものであるため、かくいえり。
この言は、かの橘の小門にして、「水に入りて岩土の神を吹き生(な)したまう」とあることから出でた。
後。
戸は、所である。所を「と」という例多い。
息吹所(いぶきど)とは、この息吹所主(いぶきどぬし)の神の諸々の罪穢れを、息吹き放ちやりたまう所の限りを広くいうもので、はじめ祓つ物を、川に流し棄てる所から、終わり根の国に至るまでの間に広くわたる名である。
坐(ま)すというのは、息吹所(いぶきど)という所が一つあるように聞こえるが、然らず。それは、ただ、先の二つの例のままに、坐(ま)すというもので、別にそういう所が、一つあるのではない。
それは、かの早川の瀬、潮の八百会、根の国などというのとは、名のさま異にして、息吹所(いぶきど)という場所はどこにもないことから知るとよい。
なお、次に詳しくいうことを合わせて理解するとよい。
考に、物を呑みては、必ず息吹するものとあるのは、かなわぬことである。
ここは、呑むは、速明きつ姫のこと、息吹所主のことは別である。ただし、語の続きでそのように思われるのは、文のあやである。
岩土のみことを引用されているのも、吹生とある言葉は、由(よし)あれど、かの神とは関係ない箇所である。
○「息吹所主という神」
後。
この神は、倭姫命世記に、「某宮一座、豊受の荒魂なり。イザナギの生みませる神、名は、息吹所主、またの名は、神直日(かみなおび)、大直日(おおなおび)神」とある。
息吹所主を直御霊(なおび)なりというのは、後の人でも考えつかないことで、これは、必ず古い伝説があるのである。
ここに正しくかない、いと尊い。
そもそも直御霊(なおび)のことは、古伝六に詳しくいったので、合わせて考えて知るとよい。
※古伝六。
「神直び、大直び」直とは、未だ直らないのを直す意の名である。既に直っている意ではない。
穢(きたなき)から清(きよき)にうつる間に、生まれた神で、直びとは、禍(まが)を直したまう御霊(みたま)の意味である。
某祝詞に、「四方四隅から疎び荒び来む天の禍(まが)つびという神の言う悪事(まがこと)に、あい混じこりあいくちあえたまうことなく云々」、「咎(とが)過ちあるを神直び大直びに見直し、聞き直しまして云々」。某祝詞に「神直び大直びに直したまいて云々」とある。
これらは、神議(かむはかり)に議(はかり)たまう、神逐(かむやらい)に逐(やら)いたまうなどの類の語で、ただ「直したまう」ということである。直したまうということをこう表現することから、ここの神の名の意味を悟ってほしい。
戻る。
この名、息吹主といわず、息吹所主というのは、先に「早川の瀬に坐(ま)す云々」、「潮の八百会に坐(ま)す云々」という例のままに、これも息吹所に坐(ま)すとすることから、所という言葉を添え、称(たた)えているものである。
ある人問う。「かのいざないの君のみそぎにこの神たちの生まれたのは、まず、禍御霊(まがつび)、次に、直御霊(なおび)、次に、清明(いず)のめで、その順番、事の趣きにかなう。
そうすると、ここでも、息吹所主=もし直御霊であるならば、「(川)瀬下りつ姫」の次に、息吹所主、次に、速明き(クリア)つ姫、となるべきだが、この二人(神、大直御霊(なおび))の順番の逆なのは、なぜか。」
答える。「まず、祓いにて、罪穢れの除かれ清まる順序。
初めに、(川)瀬下りつ姫、(流れの早い)早川の瀬(水面の背)から、大海原に持ち出でたまい、次に、大海原を経て、潮の八百会(やおあい)(渦潮?)まで至るのは、この息吹所主(いぶきどぬし)の神が、息吹放(はな)ち、送り遣(や)りたまうもので、次に、速明きつ姫が呑みたまうのである。
そうすると、かのみそぎによって生まれた順序と違うところはない。
息吹所主を瀬下姫の次にいわなかったのは、後にここにいうために省いたものである。
もし、そうでなければ、大海原の間を、はるばると経て、潮の八百会までは、いずれの神の送り遣(や)りたまうことになるのか。
上文に「持ち出でなむ」「かく持ち出で行なば」と行くの字を加えられていることに心をつくべし。
瀬下りつ姫のことは、持ち出でるまでであるため、そこには、行くとはいわず、行くのは、持ち出でた後のことで、大海原を経て行くもので、この一言に息吹所主の御しわざのこの間にあることを思わせる、上代の文の妙も妙である。
なおざりに見過ごしてはならない。
さて、そのことを、そこにはいわず、ここにいうゆえは、清明(いず)のめの呑みたまい、その潮の八百会から、また、根の国まで、送り遣(や)りたまうのも、同じこの直御霊(なおび)の神の御しわざであるために、ここにいい、かしこでの表現に代えたものである。
それは、この神は、すべてよろずの凶事(まがこと)を直し、清めたまう御霊(みたま)の神であられるので、広くいうときは、早川の瀬に流れ出て、根の国に至り、さすらい失(う)するまで、始めから終わりまで、この神の御霊(みたま)のなすわざであるからである。
もしこれを、瀬下りつ姫の次にいうときは、その(直)御霊(みたま)の終始にわたること、表れがたく、また、潮の八百会から、根の国までの間のことも、欠けるもので、かれこれをもって、ここに挙げられているものである。
なおいえば、罪穢れの潮の八百会に没亡(いりうす)るまでは、顕国(うつしくに)のことで、それより更に根の国についていうときは、かの潮会に没(い)りゆくのは、彼方にては、できるもので、水門(みなと)であれば、先にもいったように、清明(いず)のめの神は、水戸(みなと)の神とあるにもかない、顕国(うつしくに)で、早川から水門を経て海に出るところにも、この神の御霊(みたま)があって、またかの八百会から彼方へ流れ出る所にも、顕国のように、瀬下りつ姫の御霊あるべきこと、互いに准(なずら)えて知るとよい。
かくして、それを根の国まで送り遣るのは、顕国では、大海原を経て、八百会まで送り遣ることと同じで、直御霊(なおび)の神をここに挙げることはまたその理由がある。
根の国に至り、さすらい失うのは、顕国では、清明(いず)のめの神が呑みたまうのと同じで、速サスラ姫の御しわざにも、清明(いず)のめの御霊(みたま)あるのである。
このようにこの神たち、互いに御霊(みたま)幸わいて、祓いの巧(いさお)をあい成したまうものである。
考にこの神の説なし。上に物を呑みては云々とある。これこの神の解である。そもそもこの段は、祓いの主とあるところだが、考の説すべてこのようにた易くなおざりにして、かの寓話という物のように考えられているように聞こえるのは、どうしてか。
○「根の国、底の国に息吹放ちてむ」
考。
根と底とは同じもので、二ついうのは、表現である。記に「進む男云々、我は母の国根の片隅の国に行きたい」また、神代紀に同神のことを「汝が所業(しわざ)いと無頼(あじきなし)云々、底の根の国に急(と)く行くべしと共に逐(や)らい降去(くだし)き」とある。
後。
根の国、底の国は、黄泉の国である。
古伝に詳しくいった。
※「黄泉国」
黄泉は、死にし人の行きて居(い)る国である。名の義(こころ)は、口決に夜見土(よみど)とある。土の字は、誤りだが、夜見の字は、さもありぬべし。下の文に「独一火」とあるから、暗い所と思われ、「夜の食(お)す国をしろしめす月読(よ)みのミコト」の「よみ」も通いて聞こえる。
祝辞に「わがなせのみことは、上つ国をしろしめすべし。あは下つ国をしらむと申して云々」とあり、「ハハの国、根の(下の)片隅(すみ)の国に行きたい」と進む男がいったことなどから、考えると、下方(したべ)に在る国である。
外国の書にいろいろ書いてあるであろうが、誤り。さる外国の道々の書のなかった上代の心に立ち帰り、ただ 死に人の行きて住む国と理解するとよい。
(ある人問う。「死にて夜見の国に行くのは、この身ながら行くのか。または、魂のみ行くか」
答える。「この身は、なきからとなりて、顕国に留まり在れば、夜見の国には、魂の行くのである。」
また、問う。「男神(いざないの君)の火を灯してみたまえば、うじたかれ云々といい、紀に「その妻に会いたいともがりの所に至った」ともあることを考えると、夜見の国に行くというのは、実には、ただ地下(つちのした)に蔵(かく)すことをこそいい、別にその国があるのではないのではないか。」
答える。「それは、例のさかしらな解釈で、誰でもそう思うことだが、さてはここにその国でありし種々(くさぐさ)のことを伝えているのは、みな作り話となる。すべて神代の伝え説(ごと)は、みな実事(まことのこと)でそうある理(ことわり)は、さらに人の智(さとり)のよく知るべき限りにあらず。
さかしら心で考えるべきではない。
女神の初めに出迎えられたときは、しばらく顕国に坐(まし)し世の御形になり、見えたまいしなり。
紀に、「なお生きているように出迎え、共に語った」とある。男神の火でひそかに見たまえるは、夜見の国の実の御形である。かの海神宮の段にも同じ類のことある。
「もがり(埋葬まで棺に納め安置されている。)の所に至った」とあるのは、死人に会おうとして、夜見の国に行くには、その骸を蔵(かく)したる所から行くことになる。
記に、よもつ平坂は、出雲のいいふや坂とあれば、帰り来る路は、かの地(ところ)あたりへ出たまうのである。
すべてみな伝え説(ごと)のままに理解すべきである。
これは、みな神の御うえのことで、凡人(ただびと)は、この世にある現(うつ)し身ながら、夜見の国に行き見ることはなく、並べていずれの道から生き帰るなどは、定めいうべきではないが、何事も神代の跡をもって、物は定めることなれば、そう心得てあるべきものである。
貴(たか)きも賎(いや)しきも善きも悪しきも死ねばみなこの夜見の国に行くのである。
戻る。
そもそも世の中の凶事(まがこと)は、みなもと黄泉の国から起こり来たことで、祓い禊ぎは、その罪穢れの凶事を、もとの黄泉の国へ返しやるしわざで、この祓い禊ぎすることを、天の神国の神が聞こし食(め)し納(い)れるのは、この段の神たち、その祓い棄てたる罪穢れの凶事を、次々によみの国に送り返しやりたまい、世の中の罪穢れ、除かれ、清まり、凶事(まがこと)無き、これぞ祓い禊ぎの旨趣(おもむき)である。
息吹は、「息以って吹く」である。放ちは、「はなちやる」である。
速明きつ姫には、呑むといい、この神には、息吹放ちというのも、実にこの別ある。
かの呑みたまうは、顕国(うつしくに)の罪穢れの除かれ、失せるもので、呑み没(い)れ失うのである。
この息吹放ちたまうは、既に根の国の方に移ったのを、受けて根の国までやりたまうもので、その物を、み息でもって吹きやりたまうのである。
この二つの心ばえ、直御霊(なおび)の神と清明(いず)のめの神とによく当たっている。
古伝禊ぎの段を考え合わせて知るとよい。
先にいったように、初め川瀬に流し棄て、終わりの根の国に至りさすらい失うまでを一つに合わせていうときは、みなこれ、凶(まが)を吉(よき)に直す直御霊(なおび)の神の御霊(みたま)の御しわざであり、同様に、この息吹放ちということも、終始、祓い禊ぎする所から始まって、根の国で、さすらい失う所まで、すべて息吹所であって、その間のことは、みなこの神のいぶきはなちたまものである。
○「かく息吹放ちてば、根の国底の国に坐(ま)すサスラ姫という神」
考。
この神の名は、次の言葉をもって思うに、サスライという言葉であり、「イ」の字が落ちている。「ライ」の略「リ」であれば、もしサスリであったのを後の人が「ら」に改めたか。
後。
サスライ姫というべきを一字足りないのは、すべて古言に、このように同音の重なるのを一つに省く例あり。
この神は、記に進む男の大神の御娘にスセリ姫(進む姫)といい、黄泉の国に坐(ま)す神がいらっしゃる、これである。「ス」と「サ」「セ」と「ス」通う音で、「ライ」は「リ」と縮まるので、「さすらい」と「すせり」と御名通う。
○「持ちさすらい失いてむ」
考。
底の底で、さすらい失うものである。某紀に百姓流離をおおみたからさすらえぬとある。
さて、この瀬下りつ姫、息吹所主、速さすらなどという神の名は、物に見えないが、所として、神のいらっしゃらない所はなく、功として、神のなしたまわぬ功はない意を得て、その所その功によって、このように名付けたたものである。
古意を得た文で、文というものを心得ない人の惑える説ある。
後。
さすらいうしなうは、行方も知られずして、失いたまうのである。流離の意味である。ただし、この言葉、考に引用された流 離とは自他の違いがある。この祝詞は古文であるので、こちらを取るべし。
このさすらい姫は、すすむ姫で、その神は、祓いには由縁(よし)なきがごとくだが、これに深い由縁(ゆえよし)がある。
それは、まず、息吹所主が根の国にいぶき放ちやりたまう意で、祓いのことは終え、この姫神の、さすらい失いたまうのは、その祓いの験(しるし)を立てたまう御しわざである。
ここの四柱の神の中にこの神のみは、かのいざないの君大神のみそぎによって生まれた神ではなく、その禊ぎの験(しるし)として生まれられた。貴(うず)み子進男大神の御娘である。
これは、また深き理(ことわり)である。
初め、その御父大神、また祓いによって、罪穢れ清まり、世に大功(いみしきいさお)を立てたまい、その末(みこ大国主の神、はじめしばしば、八十神の禍事(まがこと)に遭いたまいしを、根の国に至り、進む姫に娶(みあ)い、この姫の御はからいにより、顕国(うつしくに)に帰り、世に類(たぐい)なき大 功を立てたまえる。
これは、この姫神の、人民の罪穢れをさすらい失いたまい、福(さち)を得たのと、ことの趣き 運び、まったく同じであることを考えるとよい。
大 国主とこの姫神と共に禊ぎに生まれられ、進男大神のみ末であり、夫婦(めお)となり、この功を立てたまえること、また深き理(ことわり)がある。
すべて世の中の凶事(まがこと)は、そのはじめよみの国から起こったのをこの大 国主の神の禍事(まがこと)により、黄泉の国に至りませるは、そのまが事の、よみの国に還ったもので、祓いの趣きと同じ。
さて、それをすすむひめのさすらい失い、功を立てしめたまえる。これらの事の次第、黄泉、禊ぎの段、大 国主のよみに至り顕国に帰りたまい、功を立てられるまでの神代の段などを引き合わせて、祓いの旨の妙なることをさとるべし。
考に先の神たちの御名の古書にないことについていわれた説は、精(くわ)しからず。所として、神のまさぬ所なく、功として神のなしたまわぬ功なきはこれ各その神ますなれば、その神は、いずれの神と考えの及ぶ限りは調べなければならない。
速明きつ姫は、記にも紀にも記述がない。これに准(なずら)え、あとの三 柱の神もただ後に名を設けたのみではない。
必ず、神代の書に見えたる神たちであることをさとるべし。
すべて古文に意を得て書く人の新たに神の名を造っていうこと、かつてなし。
もし、さもあらば、なかなかに古意を得ざる後の世人の、例の他国心のさかしら文である。
すべて、この段は、そのようになおざりに見るべきではない。
○「かく失いてば、天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕えまつる、官々(つかさづかさ)の人どもを始めて天の下四方には今日より始めて罪という罪はあらじと」
後。
「あらじと」「祓いたまい、清めたまうことを」と次の語を隔てて続く。
上に「皇御孫のみことの朝廷を始め」云々、「罪という罪はあらじ」といい、また「云々の事のごとく、遺(のこ)る罪はあらじ」といい、またここにもいうのは、同じことの徒(いたずら)に重なり拙きがごとくだが、これは、古文の常で、よく語の筋道を考えると、拙からず。筋道よく通って聞こえる。
すべて同じ言葉の重なるのは、一文字でもつたなくなることもあるが、さまによっては、いくつ重なってもよい。今(宣長の時代)の人は、つとめて同じ言葉を重ねないように構えるから、なかなかに拙くなること多い。
中昔の文、殊に伊勢物語などは、殊更に同じ言葉を幾つも重ねいい、味わいを持たせていることも多い。
○「高天原に耳振り立てて聞くものと馬引き立てて」
考。
馬は、耳疾(と)き獣であるゆえに、天の神国の神のこの申す祓いの詞を、とく聞(き)こし食(め)すことに譬え、祓い物とするのである。
某詞にも、馬を献ることを「振り立つることは、耳の弥(いや)高に天の下しろしめさむことの云々」とあることで知るとよい。
頭書。
後の世の本にここを「さお鹿の八つの御耳を振り立つる」というのは、誤り。
後。
高天原にとは、殿造りをいうに、高天原に千 木たかしりと表現するのと同じで、ただ高くということである。必ずしも高天原まで至るという由(よし)ではない。
この言葉を高天原に坐す神たちに聞こし食(め)せという意味であるとの説はいとつたない。
「引き立てて」「祓いたまい」と続くてにをはである。大祓いに馬を引き立てることは、既にいった。
朝野群載に云々とあるのは、中昔の人の古代のことを意味も知らずにみだりに言葉を変えたものである。
紫式部の日記に「陰陽師ども世にある限り召し集め、八百万の神も、耳振り立てぬはあらじ」とあるのは、そのころ既に世にかくも歪めて物せしものである。
○「今年の六月晦日。夕日の降(くだ)ちの大祓いに」
後。
夕日の降(くだち)とは、夕つ方をいう。降(くだち)は古言である。朝にすることは、朝日の豊栄登(とよさかのぼ)りにという。朝夕のことをこう表現するのは、いにしえの雅言(みやびごと)である。
○「祓いたまい清めたまうことを諸々聞こし召せと宣(の)る」
考。
これにて祓いの詞終わる。百官称唯する。
後。
諸々とは、初めに「集侍親王云々等諸」とある諸のこと。宣るとは、中執臣自らいうこと初めと同じ。
○「四(も)国(よくに)のト部ども大川道に持ち退(まか)り出でて、祓いやれと宣(の)る」
後。
この一段は、祓いの詞を宣(の)り終わって、別にト(うら)部に仰る詞である。これも続けて中執臣が宣(の)るのである。
考。
ト部は、解除(はらい)のことをとるなれば、祓い詞終えて後、その祓つ物を、川辺に持ち出て、流しやれと、仰せたまうのである。
「も」の字は誤り。
川道の道の字は不要。
ト部は、職員令に、「ト部二十人」とあり、某式に、「ト部は、三国のト術優れたる者を取る。(伊豆五人、壱岐五人、対馬十人)」とある。四方国というのは、なぜであろうか。
この詞もし藤原朝の末に書かれたものであれば、ト部のこともいわれるであろうが、飛鳥、近江、大津の朝であれば、云々。
すべてこの詞はめでたいが、ここに至り、文の拙く疑わしいことのあるのは、後に加えられたものと思われる。
頭書。
諸国でも、ト部を用いられたこと見えない。大宰府にも令に陰陽はあるが、ト部は見えない。しかれば、四方国のト部というものはなかったのではないか。
後。
四も国の「も」は後の人の賢しらに加えたものである。
ト(うら)部は、考にいわれたように、三国から出て、諸国から出たことはない。されば、これは、
四国で四カ国のト部である。
某式などに記述ある。
伊豆、壱岐、対馬、今一国は、京にあるを加えていった。某式から、在京のト部もあることが知られる。
川道(かわじ)とは、祓つ物を流し棄てて、海原にやるに、川はその道であるために、殊に道というのである。この流しやる川は、その時々の京によって、いずれの川にてもあるべし。今の京では、鴨川に流す。
退(まか)りとは、京から外へ行くことをいう。
祓い去(や)れは、神祈 令にト部解除(はらい)をなすとあるこれである。
考に、四も国のことをあれこれいわれているのは、四国のト部の存在を考えもらされたるゆえである。川道の道の字を用なしといわれているのは、なおざりである。
ここの文の拙いといわれるのも当たらない。もの字を除いては、拙いところはない。
さて、この段は、「集侍親王云々」の段と共に二季の大祓いの定まりしときに、加えられた文であること、論なし。されば、この詞もし藤原朝の末に書かれたものであれば、云々の論は、ここには用なきことである。
つづく
(本文は、おしまい)