2009年10月04日

「本日の更新」

 本文は、最後まで読んだことになる。

 推敲あまりできていない、ご勘弁。
 
 晴れ晴れはしていない。あと付録と全編とおしたストーリーを自分訳するか考え中である。

 感動のフィナーレの材料が少しある。(はず、つもり)
 
 「家元の話」つづき
 タイトル、これもまた引き続き、考え中。

 学生時分、志ん生師匠の文庫で出ている「なめくじ長屋」を読んだ記憶はある。

 CDかテープを聴いたが、音がこもった感じであまりピンとこなかった。

 内容も落語という感じという印象だった。

 家元の落語は、この頃、無論聴いてない。

 CD借りて、聴いたのが、一、二年前だからだ。
 
 つづく

 
posted by 青田猫三齋 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その六

○「かく出でば天つ宮ごともて」
 考。
 皇祖神(すめろぎ)の詔(みことのり)をまつって、宣(の)るのりとの言葉である。
 
 紀に「スサノオに千座の置戸の解除(はらえ)を負わせ、手爪を吉(よ)しきの棄物(はらいもの)とし、足爪を凶(あ)しき棄物(はらいもの)となし、アメノコヤネにその解除(はらえ)の太のりと辞(こと)を宣(の)らせたまう」とあるこれである。ここの詞の前後にもこれをもとにして書かれていることあり。

 頭書。
 宣事を、本に宮事とある、古代例なき言葉である。宣の字を誤ったこと明らかである。

 後。
 天つ宮事とは、高天原の空照らすの朝廷で、行われる儀式に倣い、そのように行われることをいう。

 すべてこの国で、御子孫(すめみま)の朝廷の儀式も何も、みな天上(あめ・空の国)の朝廷に倣い、行われる。

 天つすがそ、天つ祝詞などあるも、こうした種々(くさぐさ)の物も、天(あめ)にある宮殿で用いられる物になずらえられるのである。

 考に、宮の字を宣に改めること、御先祖(すめろぎ)の詔云々といわれること、宣事は、御先祖(すめろぎ)の詔事(のりごと)ということか、うけたまわって宣(の)る人の宣事か、まぎらわしく、どちらか分からない。

 もし、御先祖(すめろぎ)の詔ならば、その名を挙げるべきだが、ただ天の宣事というのは、聞かれない表現。

 御先祖の詔によりてすることは、「云々のみこともちて」といい、「宣事もちて」という表現の例はない。

 もし、うけたまわってのる人の宣事であれば、下に続く文を拙(つたな)く重ねるもので、文筋が整わない。

 いずれにしても宣事ではないと思われる。

 天の宮との言い方、例あり。

○「大中臣(おおなかとみ)」
 考。
 アメノコヤネから始まり、神事を掌る官を中つ臣という。そのつ、おを縮めて、なかとみという。
 
 これは、神と君との中を取り、よろしく申し請(こ)う意味である。斎(いつ)きのみこを某詞に、「御杖代とたてまつりたまう御命を大中臣厳矛(いかしほこ)中取り持ちて」とあるこれである。

 紀に「大臣の遣わせる群卿(まちきみ)たちは、厳矛(いかしほこ)中取る事のごとく、申し請(こ)う人たちなり」とあるのもことは同じ。

 大中臣というのは、すべて天皇の大み事に関わるのを、大某という例で、ただもろもろの神に仕えるのではなく、神祈官で直に神と君との中を申し請(こ)うために、大中臣というのである。

 古代、大政をすべ掌る人の連(むらじ)の職(かばね)を大連、臣のそれを大臣といったことを大ということと似ている。

 ただし、大連、大臣は、職(かばね)についていい、大中臣は、わざについていうものである。

 頭書。
 この中つ臣の職、アメノコヤネの子孫が伝え来て、遂に中臣氏となった。この詞またかの某詞の大中臣は、古代のように神事を掌る職についていったものである。中臣氏ということではない。

 また、云。
 中臣氏となり、後に某年の詔に云々とあると続日本紀にあり、大中臣氏というのはこれからである。後までもなお、官の中臣と、氏の中臣との区別ある。
 
 後。
 中臣という職の内容は、考のとおり。ただし、この名は、中つ臣(なかつおみ)ではなく、中執臣(なかとりおみ)の縮められたものである。

 考にいわれたように、後まで、職をいうと、姓をいうとの区別がある。しかしながら、中臣氏の人は、みな中臣の職であり、その区別はなかった。

 職員令の神祈官の下にも、神部三十人、ト部二十人などはあるが、中臣という者は挙げられていない。

 式にも、ト部をおくことはあるが、中臣ということは見えない。

 中臣女という職も、中臣氏の女である。

 また、中臣官といわれることがある。それは、中臣氏の中に神祈の副祐史などの官である人をいう。

 大を添え、大中臣ということも、考にいわれた心ばえである。もろもろの巫(みかむのこ・神に仕える職?)の中に神祈官の八神を祭るに、殊に御巫というと同じ。

 祈年祭祝詞に、ほかの某などの巫を、御巫(かむのこ)と書き、神祈官のを大御巫と書くこれである。

○「天つかな木(かなき)を」
 考。
 天つというのは、そのもと天つ神事であるので、かしこみていっているのである。

 かな木は、某紀に「兵がつかなきで戦った。」とある。つなかきは、若木(しもと)を棒としたもので、握之木という意味である。大きくなく、手に取るばかりなる木のよしである。このつかなきのつを省き、かなきという。

 頭書。
 和名抄の刑具部に鉗(かなき)とあるが、ここにいうかなきとは異なり云々。刑具をはらい柱の置座にしたりすること、例はなく、もとより穢されたものを用いるはずもない。

 後。
 かな木のこと、考の説のごとし。某の文にも、「かなきで、鐘を撞く」、注に「かなきは、小木枝なり」とある。

 考に、つかなきのつを省いたとあるのは、本末違って、かなきがもとの名である。某紀につかなきとあるのは、握(つか)なきで、手に持って戦いなどする、今の世の棒である。かなきは、細い木のすべての名で、その中に手に取り持つかなきを、握なきの意味から、つかなきといったのである。

 和名抄に、刑具の鉗をかなきとしているのは、考(の省略した箇所)、にいわれるように、もとは、小木を用いたが、後に鉄に変わっても、名は古代のままかなきといったもの。しかるに、ここのかな木を刑具と心得るのは、誤り。

○「本(もと)打ち切り。末(すえ)打ち断ちて」
 考。
 本(もと)と末を切り棄て、中ほどのよい所を物の置き座(くら)とすることをいう。

 これは次の天つ宮そを云々と、それに対していう文である。記某の段に「いそ隠くる山のみおの竹を本(もと)き刈り、末押しすり云々」、某紀の「云々もとうち切り末うちたち」など古文の例である。

 後。
 切りも断ちも同じことだが、言葉を変えていうのは、表現である。この次に置座に造ることをいわなければ、言葉足らぬようだが、造るといわず、ただ千座の置座に云々といい続けるのは、古文のさまで、こうした表現多い。

○「千座の置座に置きたらわして」
 考。
 置座は、右のかな木である。木工寮式に、云々とある。その頃は、割木を用いたか、上代には、若木を用いたためにかな木といった。しかし、この式により、上代の置座の形を知るべきである。置き足らわしとは、贖物を多く置くことをいう。神代紀に「これに科すに千座置戸をもって、遂にせめはたる云々」とある、これである。

 後世には、罪の重き軽きにより、祓柱を出させるに、上つ祓下つ祓などいって、贖物の数に多少のしなあり。格式に詳しい。

 後。
 置座は、人々の出した祓(はらえ)つ物(お祓いに用いる物)を、取り集めて据え置く台である。その形は、木工寮式によると、考にいわれているように、細い木の本(もと)(根元?)末(すえ)(枝?)を切り去ったものを、束ねて結った物と聞こえるが、そうした物であれば、いくつも連ねて並べないと、物を置く台にはならないのではないか。

 これは、思うに、木工式に記されているのは、後のことで、その型ばかりを残したもので、上代の置座(おきくら)は、別に造り方があったのかもしれない。

 それは、思うに、細い木を並べて編み、机などのように造ったものではなかったか。詳しきは知りがたい。

 千座(ちくら)とは、その置座の数の多いことをいう。

 置き足らわしとは、置き満つることをいう。

 祓物といわなければ、何を置くのか分からないと思う人もあるだろうが、上に「ここだくの罪出でむ」とあることで、各々その祓物を出すことは、いわずとも推測できる。ここもおのずとその祓物を置くことと思われるのは、古文の表現である。

 この置くという言葉、ただ据え置くでもいいが、万葉十一巻に「あはなくに夕けをとうと、幣(ぬさ)に置(おき)に、吾衣手は又ぞつぐべき」とある。結句は、又つづきて幣(ぬさ)に置くべしというもので、この置くということ、今の世に物を質に渡すことを、質に置くという、置くに似て、同三巻に「奈良の手向に置く幣は」などある類も、幣に奉ることを、置くといっているようであり、置座の置も、物を祓物に出すことを、置くというのであある。

○「天つそがそを」
 考。
 菅(すが)は、笠にもする菅である。この物を祓いに用いたこと、万葉十四に「木綿(ゆふ)だすき、かひなにかけて、天在(あめなる)、ささらのをのの、七ま菅(すげ)、手に取り持ちて、ひさかたの、天の川原に 出で立ちて 身潔(みそぎ)てましを」。

 十五に「その佐保の川に、石(いそ)に生(お)うる、菅(すが)の根取りて、しのふ?草、解除(はらい)てましを」。

 神楽歌に「中臣の、小菅(こすげ)を、割(さ)き払い、祈りしことは」。

 などあるこれである。古代のはらいには、割いた菅を手に取り持ち、鹿などを払うようなわざをした。かの十四の歌の詞、祓いするさまを見るがごとしである。

 この草を「すげ」というのは、穢れを払い放(そ)けるゆえの名である。万葉に「ま菅よし そがの川原、山菅のそがひ」など続けているのは、「すげ」と「そげ」と同じだからである。

 「すがそ」の「そ」は、すべて割(さ)いて作る物の名で、「さき」の約「し」を「そ」と移していったものである。

 木綿も、栲(ゆふ)の皮を割いて作るゆえに、万葉に、まそ木綿(ゆふ)といい、麻の「さ」も「そ」に通い、同じ言葉。菅も常にはただ菅とのみいうが、祓いには、割いて用いるために、菅そ(割)というのである。

 さて、古書に、祓い物種々載せた中に菅はない。これを祓いに用いたことを疑う人もあるが、祓柱は、国の郡領以下戸々から出す物である。

 式に、祓いに用いる物をみな挙げて、祝詞の料(しな)の布の短帳はあるのに、詞を書く紙筆を載せていないようなものである。

 菅は、仕えまつる官人一人の手に取る物で、また斎(いつき)て作るものであり、その人の自らなすゆえに挙げられていないのである。

 頭書。
 いにしえに、祓いに菅を用いたこと、先の万葉などの歌を引用して、明かしたが、ある人の難じて、(そうしたことの論拠に)歌は用いがたしといった。
 
 しかしながら、古代の歌は、後世のものとは違って、殊更に設けて(作って)詠むことがなく、いと正しい物である。

 ただの書は、あるいは 伝えを誤り、あるいは、言を加え、などもされていて疑わしいものもあるが、ただ古代の本当のことを知るべきものは、歌のほかにない。

 又云う。

 麻は、青割(さ)きの意で、白栲(しらゆう)に対しての名である。栲(ゆう)を白幣(しらにぎて)、麻を青幣(にぎて)ということでも知られる。

 後。
 祓いに菅を用いること、考にいわれるとおりである。

 「すげ」、「すが」という名は、この草、もとより清浄(きよ)き由(よし)ありてその名に負えるか。そのゆえに祓いにも用いられるものであるか。

 または、清(すが)という言葉の音の通うためであるか。いずれにしても、清き意味に取りて用いられるのである。

 考に、穢れを払い放(そ)けるゆえの名といわれているのは、誤り。証に引用された万葉の歌は、「そが」、「そがい」などは、「が」は濁音で、「すが」と音の通うことで連ねられているもので、放(そ)けの「け」は、清音で、(「そげ」ではないので)、通うよしない。

 「すがそ」の「そ」は、「さお」の縮まったもので、緒なる物を何であれいう名である。その「さ」は「ま」に通い、真緒(まお)の意味である。こういうさまにいう「さ」の「ま」に通うよしは、別に詳しくいう。

※「緒」(一)糸、紐など。長くして物を結うべきものの総名。「言海」参照

 麻(あさ)を「そ」といい、某麻(なにそ)とも書くのは、麻は主に緒にも用いられる物で、「を」ともいうのと同じ。これにても、「そ」は「さを」であることが知られる。

 万葉九に、「直さ麻(ひたさを)」ともあるのは、直麻である。菅(すが)そというのも、菅を細くさいて、緒にした物であるためで、菅(すが)さ緒(お)の意味である。

 考に、割(さき)の約「し」なるを「そ」というといわれているのは、いと遠い。引用された万葉の「まそゆふ」も「まさをゆふ」である。割(さ)いたものの意味ではない。

 麻を青割きというのも信じがたい。麻は、青その意味であるか。

 また、式に大はらいの用物を挙げられている中にこの大中臣の取り持つ菅その記述がない。それは、この祝詞は、古代の文のままであるためで、今の京となっての頃は、菅そを取り持つことは、既(はや)くになくなっていたかもしれない。

 このほかにも、祓いのわざ、古代と変わったこと多い。もし、いにしえのごとく用いられるのであれば、必ず式に挙げられているはずである。

 考に、この物は、その人の自らなすゆえに、挙げられていないといわれているのは、そうではない。これは、自ら作るものではない。また、詞を書く紙と筆とは、同じ例にいうべきことではない。

○「本(もと)刈り断ち、末(すえ)刈り切り」

 考。
 かな木に対していったもの。

○「数條(やはり)に取り割(さ)きて」
 考。
 八は、弥(いや)であり、菅を細かく割くことをいう。それは、針で割くものであるために、八針という。刀を用いる物をいく刀に切るというのと同じ。

 頭書。
 これを、あるいは、麻を八方に引いて、天の四方八面に例えるといい、または、刑の縄を解き棄てる例えなどというのは、外国風の解釈により、陰陽師などのしたわざである。後には、それが信じられ、江家次第などにもあるのは、どうしたものか。

 後。
 某儀式帳に「百(もも)張りそがの国、五百(いほ)え刺す竹田の国」、某縁起に、「倭猛者の歌に、まそげ尾張(をはり)のやまと云々」とある。

 これらを併せて考えると、「そが」は菅(すが)の意味に続けていること、「ま菅(すが)よしそがの川原」などのごとしで、「まそげ」も「ま菅(すが)」である。

 百張り、尾張と続くのは、共に菅についてのことである。

 そうすると、張とは、菅の繁(しげ)く生(お)いたることをいい、意味が移って、その葉一條一條(ひとすじ)を一張二張(ひとはりふたはり)といい、菅に限らずそういうようになったものか。

 紀に「麻一條(あさひとたばり)」とあるのも、「た」の字は添えられているが、同じ「張(はり)」であるか。

 これらをもって思うと、ここも「針」は、借字で、菅の葉を細かく数條(やすじ)に割く意味であろうか。

 針で割くことを、八針(やはり)にというのは、状態が違う。

 いく刀に切るというのも、事異なる。もし、例とするときは、針を八(数)度用いて割(さ)くことになる。

 この次の文で、この菅を取り持つことがいわれるべきだが、省かれているのは、例の古文のさまで、先のかな木を置座(おきくら)に作ることが省かれているのと同じ。

 考。
 ある人いわく。祓いには、一撫一吻のことあり。解縄のわざあって、それにより、息吹放ち、さすらい、とも綱解放、天つかな木、八針などの言葉がある。」

 答える。「既にいったように、祓身濯は、神代に始まり、そのようなわざは、古書にはまったくないもので、後に添えたわざである。大み手で撫で、大み息を吹きかけられるということは、古代あったかもしれない。しかし、さすらいを、摩(さす)るという解釈はしない。

 また、かな木を刑具とするのも、誤りであること、既にいった。
 
 江家次第に「祝師、座に就き、祓いの詞八張に及ぶに望み、縄を解き了(お)え、祓い了え云々」、また、平野祭に「祓い清めというところに至り、人形をもって撫でさせたまい、中臣祓い(詞)の八張に取り割きというところに至り、縄を解きたまい終え、宮主退出」とある。これらは、中頃、陰陽師などの付け添えたことと思われる。

 すべて後代の人、皇朝の古書をよく見ず、他国の書を見て、みだりに付け合わせた。古代のことをよく学ぶべきであったところを。

○「天つ祝詞の太祝詞事を宣(の)れ」
 考。
 事は、言である。古書には、言と事を区別せずにい書かれているのは常である。

 この大祓詞は、既にいったように、清御原宮などの頃に作られたが、神代のことを主(むね)と挙げられており、天の岩戸の前で、コヤネの宣(の)りし詔賜言(のりたべごと)になずらえ、天つのりとというのである。

 ここに大中臣といい、置座(おきくら)、菅(すが)そのことを挙げ、祝詞を宣(の)るとあるのは、その中に、大中臣の下に在り、祓いのわざをするト部なども含めた表現と思う人あれば、それはそうではない。

 そもそも、ト部のトをなし、祓いをなすことは、大宝令にこそ定められているが、上代にはなかったことである。

 記日本紀にあるように、よろずの神事は、みな中臣と忌部の祖たちが執り行ったものである。そうすると、この文も上代のさまをもって書かれているので、たとえ当時は、中臣の人貴く、下司にわざをさせていても、なお、大中臣のするようにいい、後のことには触れていないはずである。

 頭書。
 のりとに祝詞の字はよく合わない。作られた頃は別の字を書いたものか、なお後に外国風に書かれたものであろう。

 古事記のように、天つ詔戸のふと詔戸言とこそ書くべきである。
 
 また、云う。
 ある人、「祝詞は、神に告(の)る言である。これは、人の身濯祓のことで、祝詞とはいわない。詞とのみいう。されば、ここに天つ祝詞とあるのは、別に神代から伝わる言葉のあるはずだ」というのは、誤った説である。

 この文、上に皇祖神(御先祖)の詔を挙げ、ここに至り、”ふとのりと”といいっている。どうすれば、詔詞という解釈になるのか。かの祝詞の字、賛辞と注したことなどをのみ守り、詔賜言(のりたべごと)の意味であることを理解しないのは、なぜであろうか。

 後。
 のりとごとは、宣説言(のりときごと)である。その理由は、古伝に詳しくいった。

 すべて、「のる」という言葉は、意味が広く、上に申すにも、下に言い聞かせるにも、使う言葉である。

 詔、宣の字などは、上から下に言い聞かせる意味となる。すべて皇国言と漢字と、完全には合わないのを、合うところを充てる例多い。

 詔、宣などの字にこだわるべきではない。万葉に、告、謂の字をも、「のる」として用いられていることを考えるとよい。

 「とく」も同じことで、上に申すも、下に言い聞かせるにも用いられる言葉である。これも、説の字にこだわるべきでない。

 のりとごとは、神に申す詞である。言を省き、のりととのみもいう。

 天つは、天つかな木、天つ菅そなどの例のごとし。

 太(ふと)は、めでたいことを、美称(ほめ)ていう詞。太占(ふとまに)、太玉串(ふとたまくし)、太玉(ふとたま)のミコトなど、みなその意味である。

 「とう(ふ)と」という言葉も、尊、貴などの字を当てるのは、例の合うところを合わせたもので、もと、太(ふと)に多(た)を上に添えたもので、同じ意味である。万葉には、「めでたい」ことを、「とう(ふ)とし」といった例多い。

 神は、詞のうるわしきを愛でたまう故に、すべて祝詞は、言葉を美麗(うるわし)く綴る物で、「ふとのりとごと」というのである。

※尊い(めでたい)宣説(のりと)き言(ごと)をの意味か。

 ここに、いわれる太祝詞事は、大祓いに、中執臣の宣(の)るこの詞を指すのである。

 考にも引用されているように、神代紀のスサノオ(進む男)に、解除(はらえ)を科(おわ)せた箇所に、「アメノコヤネをその解除(はらえ)の太諄辞(ふとのりとこと)を掌り、宣(の)ら使(し)む」とある。

 これは、祓いの祝詞を中臣が宣(の)ることのもとである。

 四時祭式に「ト部読む」とある。これは、”中臣”とあったのを後の人が個人的に改めたもので、当然誤りである。

 「のれ」というのは、仰(おほ)する言葉であるが、ここは、仰するのではない。しかしながら、ここはこういう表現をする語の運びである。

※「仰(おほ)す」言う。言い付くの敬語。「言海」参照。

 考の初めにいわく。「「のりとごと」という言葉の意味は、かむろぎ(神皇祖、御先祖)高木の神が詔賜(のりたべ)し、御言(みこと)を承(うけたまわ)り、コヤネのミコトが、天の岩門の前で、宣(の)り申したもので、記に詔戸言(のりとごと)と書かれている。しかれば、「のり」は、皇祖神の「みことのり」である。戸は、借字で、賜(たべ)(賜るの意味?)と崇(あが)める辞(ことば)である。その「たべ」を縮めると「て」であるところを「と」と移していっているのは、音便の常である。」

 この説は、いといと信じがたい。

 これは、「のり」を「詔」の字などの意味と、思い込んでの解釈である。「のり」は、先にいったように、上に申す意味もあり、告の字をも多く書く。祝詞の「のり」は、神に申すよしの言葉である。

 詔、命の意味ではない。

 記は、特に文字の意味にこだわらず書かれた書で、詔戸の字にこだわるべきではなく、かのアメノコヤネが天の岩屋戸の前で、宣(の)りたまいし祝詞も、皇祖神の詔命を承ったものであるということ、記紀などの伝えにはない。

 すべて、その時のことは、皇祖神の詔命によることなし。みな八百万の神が集まり、議(はか)ってなしたことである。

 記紀を見て知るとよい。

 そのほか諸(もろもろ)の祝詞、皇祖神の詔を承りて、宣(の)るということ、物に見えたることなし。

 皇祖神の詔命で物することを、「某の命以って」とは表現しても、「のりとごと」という例はない。たとえ、皇祖神の詔を受けて宣(の)ることがあっても、その承る人の宣(の)る詞を、単に詔賜言(のりたべごと)ということはないであろう。

 もし、これを皇祖神の詔賜言とするときは、ここの語、皇祖神の詔し御言葉をそのまま真似び言うことになるであろう。

 このように、考には、のりとごとのもとの意味を、思い誤り、皇祖神の詔賜言と定めて説かれているために、すべて当たらぬこと多い。

 祝詞の字も合わないといわれているが、この字は、のりとごとによく合う字である。

 紀に、太諄辞(ふとのりと)と書かれている「諄」の字は、告げさとすの熟なりと注釈されている。これからも、詔賜言(のりたべごと)の意味ではないことが、知られる。

 文字にこだわるべきではないことは、もとよりのことながら、書紀などは、文字によって、その言葉の意味の知られることも多い。

○「かく宣(の)らば、天つ神は天の岩戸を押し開きて、天の八重雲をいつの千分(ちわ)きに千分きて聞こし召さむ」

 後。
 天の岩戸は、天(空の国)の神のいらっしゃる殿(住まい)の門である。岩というのは、上文にある天の岩座の類で、堅固(かた)い由(よし)の祝い言葉である。

 御門の神の名を、石真戸(いわまど)というのもこの意味である。

 いつのちわきに云々は、後にある「いぼりをかきわけ」と、同じ心ばえである。ただし、「ちわき」は、ここには、少し合わない詞である。

 聞こし召さむは、大中臣の宣(の)り申す、この祓いの祝詞をお聞き入れになるということである。

○「国つ神は、高山(たかやま)の末、短山(みじかやま)の末に上(のぼ)りまして」

 考。
 短山をみじかやまと読むのは、誤りと某が言われた。これ、考えるに、記に、カグツチの殺された身が、八つの山つみ(神)となり、その頭がなったのは、マサカ山つみ(神)、胸は、オト山つみ(神)云々とある。そうすると、短山は、オト山に当たり、読みもそう読む。

 末は、山の上のことで、麓(ふもと)を山本ということに対する称。

 頭書。
 高いは低いに対して、短いは、長いに対する言葉であり、ここに高山に対して、短山と書かれているのは、みじかと読まないことを知る古人の筆である。
 
 後。
 短山は、字のままにみじかやまと読む。

 高きに対して、短かということ、中昔の言葉に、貴賎を高き、短きといわれること多く、源氏物語に、位短かくてとある注解に、河海抄に位卑(くらいみじかく)云々とある。

 令の昔の本にもある。紀に卑地をみじかきところと読む。

 これらを見ると、古代から、低きをみじかしといえる。考の説当たらず。

 もし、古代に低きを短しということなければ、何の由(よし)に短山と書かれているか。漢文に、高に短と対していわれた例もないところに、短と書くのは、古言でみじかやまといったためである。

 それを、短山と書いたのは、みじかと読まぬことを知る筆とは、逆である。すべて、祝詞の文字は、大方読むべきままに書かれたもので、万葉、書紀などのように難しく理(ことわり)をもって、あらぬ字を書かれているものではない。

 もし、オトやまであれば、短とは書かないはずである。オト山のことは、記伝五の巻にいったが、もとより、短山には、当たらない。

 なお、いえば、もし、高きに対して、みじかということがなければ、高きに対して、オドという例もかつてないのではあるまいか。

○「高山のいぼり、短山のいぼりをかき分けて聞こし召さむ」

 考。
 いぼりは、雲霧をいう。それは、その山の気ののぼるもので、気騰(いきのぼり)ということを、省いた言葉である。常に、煙にいぶりといい、物のいきぼりあがるなどいうのも、みな、気のおこり立つことをいい、同じ古言である。

 さて、この「ぼ」は、もと濁言(音)だが、後世、いをりのように唱えたのは、音便である。また、思うに、五百霧(いほりきり)を省いていわれたものでもあろうか。

 頭書。
 庵(いおり)の意として、神社をいうとの説あるが、当たらない。庵も神社もかきわけというべき由(よし)なし。

 後。
 いぼりは、考にいわれているように、雲霧の類をいう。ただし、気騰(いきのぼり)の省きといわれているのは、誤り。五百霧然り。

 ただ、俗言に、煙などのいぶるというのと同じく、すべて、物のおぼろにして、明らかでないこと(さま)をいう言葉である。

 いふかし、おぼろなども、いぼ、いぶ、おぼみな通音で、もと同じ言葉である。

 万葉におほほしく、いふせし、いふかしなどの言葉に欝、欝悒と書かれているのは、ここは、雲霧などの立ち隔たり、欝(おほほ)しきをいうものである。

 万葉四に「朝居る雲の欝(おほほ)しく」、十に「春霞(はるがすみ)山に棚引き欝(おほほ)しくなどある。

 ほの清濁は、おほろ、おほほしい、ふかしい、ふせしなど、の「ほ」も「ふ」も今は、みな濁りて唱えるが、古代には、みな清音であったのではあるまいか。

 万葉に、多くは清音の仮字を用いられている。

 しかれば、このいほりのほも清(すみ)て読むべきか。されど、濁るのもわるくはない。

 上文に「八重雲を分け」といい、ここに、こういわれる、ともにこうした類の物の立ち隔て障る(さえぎる意)を、分けはるかして、定かに(確かに)お聞きになるという意味。

 また、「山に上(のぼ)られて」というのも、高い所では、物のよく聞こえるがためである。

 高山とのみにても足れるところを、短山ともいわれているのは、古語の表現である。

○「かく聞こしめしてば」
 後。
 「てば」は、「てあらば」の意で、この言葉万葉に多い。後世には、「てば」ということ、聞きなれないために、みな「ば」を清(す)みて、「ては」と一つになった。「は」を清(す)むときは、「ては」の意、濁るときは、「てあらば」の意で、区別する必要のある言葉だ。

○「皇御孫のミコトの朝廷(みかど)を始めて」
 考。
 みかどとは、まずは、宮城門の内をいえど、ここは、京城門の内までを、兼ねていう。次に、四方の国をいわれているからである。

 後。
 朝廷は、ただ、朝廷である。考の宮城門、京城門の説は適(かな)わず。すべて、みかどという名は、そのもとは、大宮(殿)の御門(みかど)から、出でた言葉である。古代から、朝廷の字の意味にいうのは、常のことで、御門には関係ない。もし、御門の意とすれば、ここは、「朝廷(みかど)の内を始め(とし)て」と表現すべきで、「御門を」とすると、御門のみの意味になり、その内のことにはならない。

○「天の下四方(よも)の国には罪という罪はあらじと」
 考。
 諸人の罪の多少に従い、祓柱を出させ、天つ伝えのままに、太詔戸言を宣(の)れば、天地のよろずの神たちが明らかにお聞きになり、承諾(うつな)いたまう。そうすると、その罪は、祓い棄て、身濯(みそ)ぎして、流す物とともにみな失(う)せて、今から後、天の下に、遺(の)こる罪はあらじという意味。

 後。
 「罪という罪は」とは、罪という限りの罪は、一つものこさず、ことごとくという意味である。不在(あらじ)は、みな消失(きえ)て残り不在(あらじ)である。

 この大祓は、百官の祓いで、天の下までは、いったものではない。天の下、四方の国までをいわれているのは、先にもいったように、この祝詞は、天下の大祓いの祝詞で、百官の大祓いにも、そのまま兼ね用いられるためである。

 上文に「成り出でむ、天の益(ま)す人らが云々」とあるのも、天下の万(よろず)の民のことをいっている。

○「科戸の風の」
 考。
 紀に「イザナキは「わが生んだ国、ただ朝霧のみ薫(かお)り満ちているなあ」といい、吹き払ったみ息から化(な)った神の名をシナトベ、または、シナツヒコという。これ風の神なり」とあることから、後にシナトの風といった。

 頭書。
 事を省き、シナトの風というのは、上代の言葉ではない一つの証である。

 後。
 頭書にいわれていること、当たらず。事を省くとは、かの神の名のベ、もしくは、ヒコということを、省いたものだという。

 すべて、神の名もことにより、省いていうこと、上代からある。

 そのうえ、これは、シナトは、もとより風のことで、それを神の名に負わせたことも知りがたい。

 そもそもこの神の名、記には、シナツヒコとあれば、「トベ」は女の名に多い。この祝詞にシナとあることを合わせて思えば、神名もシナトトベであるのを、同音の重なる言葉は一つを省く例多く、シナトベという。

 されば、シナツヒコの「ツ」も「ノ」に通う「ツ」ではなく、「ト」の通いである。かかれば、シナトというのも、必ずしも、省いた言葉ともいいがたい。なぜ、上つ代の言葉にあらずと定めたか。
 
○「天の八重雲を吹き放つことのごとく、朝(あした)のみ霧、夕(ゆうべ)のみ霧を朝風夕風の吹き掃(はら)うことのごとく」

 考。
 「み」は、あるいは、誉める言葉、あるいは、強くいう言葉である。

 み霧は、深い霧の意味で、強く表現しているのである。

 頭書。
 「み」を深きことにいうのは、移した用いざまで、後世に、み山を深山と書くなどは、古代になきことで、行き過ぎた書きざまで、言のもとを知らない後の人のしわざなり。
 
 後。
 み霧は、ま霧で、さ霧というのと同じ。さ衣、さ夜などの「さ」は、みな「真」と同じこと、これにてもさとるべし。

 朝風夕風は、あさかぜゆうかぜと読む。

○「大津辺に居(お)る大船を)舳(へ)解き放(はな)ち、艫(とも)解き放(はな)ちて」

 考。
 大津は、八百の船の泊まる港である。舳、艫の下に綱の字のないのは、書き落とし。

 後。
 大津辺は、おおつのべとも読むが、おおつべと読む。

 おるは、泊まりいることをいう。万葉十四に「さきたまの津におる船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」とある。

 舳(へ)解き放ちとは、泊まりいるときは、舳、艫を繋いでおいたのを、解き放つのである。考に、舳綱、艫綱と、綱の字を補い、この字の落ちているといわれるが、式の本にも某にも、綱の字はない。この字のあるのは、後の人の賢(さか)しらに書き加えたもの。

 綱といわなくても、分かる表現である。

○「大海原に押し放(はな)つことのごとく」
 
 後。万葉六に「大海(おおうみ)の原(はら)」とあることにより、読むべし。押し放つは、押し放ち出すのである。

○「彼方(おちかた)の繁木がもとを」
 考。
 繁木は、山にあり、山は都から必ず遠(おち)なるよしにて、彼方(おちかた)という。万葉に「山遠き京(みやこ)にしあれば」、「彼方(おちかた)の赤土(はにう)の小屋」とあるのも、都を離れた山里の意味である。

 頭書。
 ある人、この彼方(おちかた)を地の名といい、遠くをいい、近くを兼ねていうというのは、誤り。
 
 後。
 彼方(おちかた)は、俗言に「かなた」ということである。すべて、お(あ)ちこちは、あちらこちらということで、もと彼此(かれこれ)の意味。遠近と書くのは末の意味。

 ここに彼方のといわれるのは、ただうち見渡したところをいい、彼方(かなた)のということ。

 斉明紀、万葉、古今集に例ある。

 おちは地の名ではない。彼方(おちかた)のである。

 ここは、「繁木がもと」で言葉足りるが、彼方のといわれているのは、いらないように思われるが、古文の表現である。

 考に、都から遠(おち)なるよしといわれているのは、先の古書などの例を考え合わせていないのである。

 「繁木がもと」の「もと」は、末に対していう「もと」とは、少し異なる。ただ木立をいうものである。

※「木立」(こだち) 樹の生(お)い立ちたる地。林。「言海」参照。

 先生の説に、木立を「もと」という、木の数を幾本というのもこれである。
 
 (しもと)も繁本である。

 某紀に「本毎(もとごと)に花は咲けども」、万葉十四に「生(お)う 繁本(しもと)このもと山の」これらみな本(もと)は、木をいっている例である。

○「焼(や)き鎌の敏(と)鎌もてうち掃(は)らうことのごとく」

 考。
 焼き鎌とは、焼いて刃を作るためにいう。 
 
 万葉十八に「焼刀(やきたち)をと波の関」とある。これにより、「やき」と読む。「やい」ではない。

 敏(と)は、利(と)きである。砥(と)の字の意にあらず。

 記の倭猛者の「久方の天(あめ)のカグ山、利鎌(とかま)にさ渡る鵠(くび)弱細(ひはぼそ)云々」とある。ここも古言を用いたものである。

 後。
 焼などの類の「き」を「い」というのは、音便にくずれた後世の言葉。古書を読むときは、すべて「い」とは読まない。

 物の譬えをいうに、後世には、ただしかじかのごとくという。ここに挙げられた四つの譬えはみな、云々の事のごとくと「事の」と添えている。これは、古言の例である。

 古書の物の譬えをいわれている箇所を見渡して知るとよい。

 ここにこのように、大方同じさまなる譬えを、四つ重ねて挙げられているのは、祓いにより、罪穢れの除かれ清まることの速やかに残りなきことを、確かに表現(あらわ)すために、かえすがえすいわれているのではあるまいか。

 また、思うに、この次々、「セオリツ姫」云々から「サスライ姫」までの四つのことに、配(わ)かち当てたものであるか。

 それは、「料戸(しなと)の風の云々」は、大海原に持ち出でたるを譬え、「朝のみ霧云々」は、持ちかか呑みを、「大船云々」は根国に気吹放を譬え、「繁木がもとを云々」はさすらい失うをそれぞれ譬えているものか。

 こう解釈するのは、あまりにくだくだしい(細かい)が、かの次第も四つ、この譬えも四つであるので、試みに驚かしおくのである。

○「遺(の)こる罪はあらじと」
 
 後。
 上に「罪という罪はあらじと」といい、またここにいう「あらじ」が重なり、拙(つたな)く、語整わないごとくだが、然らず。

 このように同じ言葉を再びいうのは、古語の例である。

 上には、「罪という罪は」といい、ここには「遺(の)こる罪」とある。

 上は、神たちの聞こし召し入れることにより、失せることをいい、ここは、遺(の)こりなくなる譬えから、続けていうために「遺(の)こる罪は」というのである。

※「あらじ1」聞き入れられ → なくなる。「あらじ2」そのさま=残りなく。ということか。

○「祓いたまい、清めたまうことを」

 考。
 物をよくなし得ることをたまうという。

 後。
 考に、物をよくなし得るをたまうといい、ほかに、たまうは、たねらう也といわれている。ともに理解できない。これらのたまうの使い方は、なおよく考えて定めるべし。

 ここなどは、公事であり、上から祓い清めたまうと読むとそうにも聞こえるが、そうとも聞こえないところもある。

 「ことを」の「こと」は、諸人の犯したる罪事(つみこと)を指していうのである。常にただ軽く添えていう「こと」ではない。

 これを「罪事」と解釈しないと、下の「大海原に持ち出でなむ」、「かか呑みてむ」といわれているので、意味が合わなくなる。心つけてみるとよい。

○「高山の末、短山の末より」
 考。
 再びこういい、事を転(うつ)すのは、文の例である。

 後。
 考の説誤り。ここは、言葉は同じであるが、同じことを二度(ふたたび)いう例ではない。上なるとは、違うことをいった箇所である。

○「さくなだりに」
 考。
 広瀬祭の詞の下にもいわれるように、「くな」の略「か」で、逆垂(さかぐり)である。
 
 後。
 同詞にも、「山々の口から、さくなだりに下したまう水を」とあり、「さ」は、例の「ま」(真)で、真下(まくだ)垂(た)りである。

 川水が、山から落ちるさまをいう。そう水の落ちるところを、「くら」とも「たに」ともいう。「くら」は「くな」、「たに」は「たり」で、ともに「くな」「だり」から出た名。

 谷を「くら」ともいうこと、古伝五、クラオカミの神の箇所にいった。

 万葉十七にも例ある。

 神名帳にある 某国某郡サクナドの神社を、桜谷ともいい、「くな」と「くら」と同じであることが知られる。
 
 この神社は、勢多から二里ばかり下、鹿飛(しかとび)という所の滝の落口の東の岸にあり、このことからも、さくなだりの意を悟るとよい。

 されば、「たに」も「くら」ももとは、水の下り落ちることから出た名である。

 考に逆垂といわれたるは、理解できない。水はもとより下る物であるため、のぼることを逆登(さかのぼ)るというが、下ることは、逆(さか)とはいわない。「さか」をのばして「さくな」ともいわない。

○「落ちたぎ(つ)速川の瀬にます」

 考。
 「落ちたぎ」は、「落ち沸(たぎ)り」である。万葉に、滝を沸とも書かれている。仮字も、必ず「たぎ」と濁る字を用いられる。万葉に「堕ちたぎち滝つ速河」と多くある。

 後。
 「ぎ」の下に「つ」の字落ちている。こことは「たぎつ」でないと、下へ語が続かない。私の本には、「滝津」と書かれている。万葉九に、「落ちたきち流るる水の」などある。

 「速川」(体言)に続くので、「つ」と読む。(後に続く語が用言ならば、「ち」。)

 さて、この箇所、文いとめでたく、まことにいさぎよき心地がする。

 考に「おちたぎち滝つ速川」と万葉にあるといわれているが、こう続けていわれている例はない。

○「瀬織津(せおりつ)姫という神」
 考。
 織は、借り字で、セオロシのロシを縮めて、オリと読む。川水の下る瀬にいらっしゃるゆえのみ名であるからである。

 記に、「いざないの君の子、水戸(みなと)(川水の海に落ちる所、河、海の際)の神、速清明(はやあき)つヒコ、速清明きつヒメ、二人の神、河海に寄り、持ち分けて、お生みになった神」の中の水配りの神をいうか。

 その理由は、ここに高山、短山の末から云々とあること、広瀬祭詞に「六御縣の山の口にます云々、山々の口からさくなだりに下ろしたまう水を」とあることを合わせて思う。また、この次の二神も、同じ大み神(いざないの君)が河海につけてお生みになった神であるからである。

 頭書。
 ある説に、この神を「空照らす」大み神の荒(あら)み魂(たま)というのは、由(よし)なし。

 後。
 この段は、古伝にもいわれるように、すべて、いざないの君のみそぎの段と合わせて説くべし。

 まず、この神の名、「瀬織」は、「瀬下(お)り」で、かの神(いざないの君)の「中の瀬に下(お)り、潜(かづ)きたまう」とある意の名である。この神すなわち「禍(まが)つひ」の神である。

※「瀬」もともと川面の背の意か。

 倭姫命世記に「荒祭の宮一座、皇大神の荒魂(あらみたま)、イザナギ大神(いざないの君)の生みませる神、名は、八十禍(やそまが)つひの神なり。一名は、瀬織つ姫の神これなり」とある。

 この書は、後世人の集めなせる書で、すべては、信じがたいことのみ多いが、古書に拠(よ)ったと思われることもまた多い。

 今ここに引用した説も、さらに後世人の思いよることのない説で、古伝説のあったものと思われる。

 「禍(まが)つひ」の神を「瀬(せお)下りつ姫」というのは、かのはじめて中(中流?)の瀬に降(お)り、潜(か)づきたまうときに生れたゆえで、ここに意味がよくかなっている。

 ここは、祓つ物に負わせて、流しやる罪穢れをまず、受け取りたまう神なれば、かの中の瀬に下(お)り、よみの国の穢れを、まず濯(そそ)ぎたまえるに、よく当たれり。

 そもそも禍(まが)つひの神は、世の中の凶事(まがこと)を生(な)し行う神である。
 
 この箇所は、罪穢れをはらい滅ぼす始めであり、生(な)ると滅(へ)ると反対のことのように思われるが、これこそ、祓いの主意(むね)にて、深き理あることである。

 祓いを行ない、罪穢れを清め流すのは、よみの国の穢れから起こった禍(まが)つひの凶事(まがこと)を、もとのよみの国へ、返しやるしわざである。

 まずこの神が大海原に持ち出でたまい、次にあるように、次第に送りやり、終(つい)に根の国に至る。

 これは、この神の生(な)し行ないたまえる凶事を、また同じこの神が受け取り、もとへ返したまうことになる。

 これをよく味わい、祓いの理(ことわり)の深く妙(たえ)なることを知るとよい。

 御門祭祝詞に「四方(よも)四隅より、疎(うと)び荒(あら)び来む、天の禍(まが)つひという神の言わむ悪事(まがこと)に、あいまじこり、あいくちあへたまうことなく」、道の饗祭祝詞に「根の国底の国より、荒らび疎び来む物にあいまじこり、あいくちあうことなくて」とある。

 この二つと、かのいざないの君のみそぎの段を合わせて、凶事(まがこと)は、黄泉の国から起こり来たことを知るべきである。

 また、この大祓いと、これらとを合わせて、祓いは、その凶事(まがこと)をもとのよみの国へかえし遣(や)るしわざであることも知るべきである。

 この瀬(せ)(川面)下りつ姫から、次々は、祓いの主(むね)とあるところであるので、なおざりに見過ごしてはならない。

 殊に心を留めて深く味わうべきである。

 考に、織(おり)をオロシの略と説かれているのは、自他の違いで、「おり」は自ら下(お)りること、オロシは、物を下ろすこと。

 すべてこの類を言葉の延ばし縮めとして説くのは、自他を混同し、言霊の妙(たえ)なる用(はたらき)を失うことである。

 ここを水配りの神をもって説かれているのも、誤り。水配りの神は、水を下(くだ)し、施したまう神であり、罪穢れを流し遣る祓いには、関係ない。

 また、この神を大み神の荒み魂なりというのは由(よし)なしといわれているが、禍(まが)つひを空照らすの荒み魂とあること、よしなきにあらず。

 そのことは、古伝六にいった。

○「大海原に持ち出でなむ」
 考。
 祓つ物を流しやるを、この神が沖へ持ち出でたまうのである。

○「かく持ち出で往(い)なば荒潮(あらしお)の潮の八百道(やおじ)の八潮(やしお)道の の八百会(やおあい)に座(ま)す」
 
 考。
 大海のはるかの沖に、潮道(しおじ)というあり、滝より疾(と)く、東へのみ流れるといわれる。

 それは、いずかたにもあるが、その八百会(やおあい)までは、知るすべもないが、播磨、豊後日向なる潮道の行会をもって、他をも思いはかるべきである。

 頭書。
 荒とは、荒山、荒野なども同じく、世離れて、生(あれ)ながらある物をいう。八(や)は、二つ共に弥(いや)の意である。

 そもそも南海の潮道に落ちた船は、留まるよしなく、遂に帰らず。この道八丈が島に当たれば、たまたまこの島によるときは、命生きる者もありと、この難に逢いたりし船人語りき。

 後。
 八百道とは、潮道の多くあるをいう。四方の海の内には、ここにもかしこにも、数多の潮道ある。

 現に聞き及ぶ潮道も、国々の海にかれこれある中に、伊豆の国から、八丈島へ渡る海中(わたなか)にある潮道、広さ二十町ばかりほど非常に早く東へ流れるという。

 紀の国熊野の南の沖にもあり、東に流れるというのは、かの八丈の道なるものと同じ筋ではないか。

 八潮道とは、上の潮の八百道を受け重ねていっているものである。

 上には、八百といい、これにただ八(や)とのみいうのは、違っているように聞こえるが、八とのみいうときは、八十にも、八百にも、八千にもわたり、広ければ、八百潮道というのと同じである。

 八百会(やおあい)とは、八百の潮道の集まり会う所をいう。

 方々の潮道から流れ来る潮の一つ所に集まり会い、海の底へ巻き没(い)る所である。

 さてここの文、このように同じさまなることを重ね続けて、長々しくいっているのは、殊にめでたく、上つ代の文で、さらに後世人のかけても及ばぬさまにて、いともいとも雅びである。

 これらをよく味わい、古文のみやびやかなるほどを悟るとよい。

 古今集に「海神(わだつみ)の沖つ 潮会いに浮かぶ沫の云々」。

○「速明(あ)きつ姫という神」
 考。
 古事記に、いざないの君が祓いしたまうとき、御冠を棄て、生まれた神の名はアキグイノウシ神とあるのに似ているが、そうではない。

 「同大神、水戸の神をお生みになった。名は、速明きつヒコ、次に、速明きつヒメ」とある、これである。

 水戸(みなと)は、水の門(と)であり、川の海に入り、開くところなるゆえに、開(あ)きという名であるのだろう。
 
 その川水とともに流れ下る物を、潮道のまにまに行き、潮の行き会う所で、底へまきいれるのを、この神の呑むと表現しているのである。

 しかれば、この神は、水門(みなと)の水の行き至る限り、知り坐(ま)すよしにて、潮の八百会に坐(ま)すともいえる。

※「坐(ま)す」在り、居(い)るの敬語。「言海」参照。

 後。
 これは、かのみそぎの段に生まれたイヅノメの神である。

 そのイヅは、アキヅの縮まりたる名で、すなわちかの速明(はやあき)つひこ、速明(はやあき)つひめと同じ神である。「あき」は、明(あき)づの意味で、明(あき)とは、みそぎにより、清らかに清まりたるよしの名である。

 これらのなお詳しいことは古伝五、六にいった。

※古伝五。
 「速明(はやあき)彦、速明(はやあき)つ姫」
 紀には、速明(はやあき)つひのミコトとして、一人である。明(あき)つひと赤土(あかづち)とは、語通い、清明(あか)き意である。黄泉の穢れを速やかに祓いすてて、清らかに明らけきをいう名である。

 (続紀の宣命に、明き、清き、直き、まことの心持って云々。すべて清きを赤きということ、赤き心など、古言に例多し。)

 明(あき)つ神というのも、意は少し違うが語は同じ。

 後釈に戻る。

) 速明(はやあきつひこ、ひめは、記に水戸神とあるを、ここに潮の八百会にいらっしゃるといわれているのは、いたく場所が違っているが、これに深い理由がある。

 それは、潮の八百会は、この顕(うつ)し国の海上の境であり、根の国の方へ、潮の没(い)り行く門口(とぐち)なれば、これまた、彼方の水戸である。

 常にいう水戸は、川から海へ水の出る口、潮の八百会は、海から入り、根の国の方へ、水の出る口であれば、こちらにて、川から出る所と、彼方へ出る場所(ところ)との違いこそあっても、ともに同じく、水戸であること、古い伝えの趣の妙(たえ)なること、かくのごとし。よくよく味わうべし。

 考に、水門(みなと)は、川の海に入りて開く所といわれているのは、いかがか。開は、ただ 借り字で、明きの意である。

 また、潮のまにまに行ってといい、水門の水の行き至る限り知り坐(ま)すなどというのは、水戸の神とあること、潮の八百会(やおえ)にいることの場所の異なることを、強いて一つに説き合わそうとしての強(し)い言(ごと)である。

 それは、水戸の神でなく、ただ海の神である。また、八百会に座(ま)すとある、座(ま)すにも意味が合わない。

○「持ちかか呑みてむ」
 考。
 「持ち」は、軽く添えたる言葉である。神代紀などに例多し。

 「かか」は、水を呑む音である。すべて物を呑み、物をかむ音を、かふかふとのむ、かりかりとかむなどいう。この類多し。

 頭書。
 かかとして、呑む音というと、俗言と思う人もあるであろうが、すべて物のなる音をいうに、雅俗はなし。つよく泣くとき、喉のなるを、よよとなくといい、高くさやかに笑うをからからと笑うというなど、ほかにもなおこの類多し。

 後。
 「かか」の意味は、考の説のごとし。

 さて、祓つ物を、潮とともに、海の底へまきいれるのは、実にこの神の呑みたまうのである。しかるを他国の本のいわゆる寓話のごとく理解するのは、やまとだましいにあらず。それは、例のさかしらな心からである。

 さて、そのように呑みたまい、顕国(うつしくに)の罪穢れの除かれ、清まる、これ、イズノメの神に正(まさ)しく当たれり。

 なお、古伝六、この神のことを考え、その理(ことわり)を知るとよい。

※古伝六。
 「イヅノメの神」「イヅ」は、既に汚垢(けがれ)を濯(そそ)ぎ祓い、明(あか)く清まりたる意にて、明(あき)づの縮められた言葉である。

 「イヅ」の言葉の例は、云々あり、これらはみな、神を祭る時のことで、斎(いわ)い清浄(きよ)める意をもって「イヅ」という。

 斎忌(ゆき)、斎庭(ゆにわ)などの斎(ゆ)も「イヅ」と同意で、語ももとは一つである。

 そうすると、この神は、禊(みそ)ぎにより、穢悪(きたな)き禍(まが)を神直び、大直びに直し、清めて、直く、清く明くなれる御霊(みたま)である。(今の世の言葉にも、何でもよからぬことの尽き終わるを、明(あ)くというのは、この意にかなう。)

 「禍(まが)つ御霊(ひ)」から、「清明(いづ)のめ」まで、次々に生まれた義(こころ)を、詳しくいうと。

 まず、世の中にあらゆる凶悪(あし)き事は、みな黄泉の穢れから、起こるものである。古代、よろずの(あし)き事を、すべて穢(きたな)しとも禍(まが)ともいった。紀に、黒心、濁心、悪心など書かれているのは、いずれもきたなきこころと読んだ。

 よろずの事に凶悪(あしき)を吉善(よく)なすを「令直(なお)す」といい、吉善(よく)なるを「直る」という。(この語は、今の世まで古意(いにしえごころ)を失わず、よろずのことにいう。)

 上文に汚垢(けがれ)を濯(そそ)ぎ清めることを、その禍(まが)を直すとあり、かくて、世の中にあらゆる吉善(よき)事は、みなこの禊(みそ)ぎから起こるものである。(日の神の生まれた所を考え合わせるとよい。)

 古代には、よろずの吉善(よき)事をすべて明(あ)かしとも、清しとも、直しともいう。

 黄泉の穢(けが)れに因り、まず世の中の諸々の禍害(まが)をなしたまう「禍(まが)つ御霊(ひ)」が、初めに生まれ、その凶悪(けがれ)を濯ぎ清めようとして、世間(よのなか)の諸々の凶悪(まが)を吉善(よき)に直したまう「直御霊(なおび)」の神、その次に生まれ、さて、濯ぎ清め終えて、吉善(よ)くなれるときに、「清明(いず)のめ」が生まれたのである。

○「かくかか呑みてば息吹戸に坐(ま)す」
 考。
 物を呑むと、必ず息吹(いぶき)するものであるため、かくいえり。

 この言は、かの橘の小門にして、「水に入りて岩土の神を吹き生(な)したまう」とあることから出でた。

 後。
 戸は、所である。所を「と」という例多い。

 息吹所(いぶきど)とは、この息吹所主(いぶきどぬし)の神の諸々の罪穢れを、息吹き放ちやりたまう所の限りを広くいうもので、はじめ祓つ物を、川に流し棄てる所から、終わり根の国に至るまでの間に広くわたる名である。

 坐(ま)すというのは、息吹所(いぶきど)という所が一つあるように聞こえるが、然らず。それは、ただ、先の二つの例のままに、坐(ま)すというもので、別にそういう所が、一つあるのではない。

 それは、かの早川の瀬、潮の八百会、根の国などというのとは、名のさま異にして、息吹所(いぶきど)という場所はどこにもないことから知るとよい。

 なお、次に詳しくいうことを合わせて理解するとよい。

 考に、物を呑みては、必ず息吹するものとあるのは、かなわぬことである。

 ここは、呑むは、速明きつ姫のこと、息吹所主のことは別である。ただし、語の続きでそのように思われるのは、文のあやである。

 岩土のみことを引用されているのも、吹生とある言葉は、由(よし)あれど、かの神とは関係ない箇所である。

○「息吹所主という神」
 後。
 この神は、倭姫命世記に、「某宮一座、豊受の荒魂なり。イザナギの生みませる神、名は、息吹所主、またの名は、神直日(かみなおび)、大直日(おおなおび)神」とある。

 息吹所主を直御霊(なおび)なりというのは、後の人でも考えつかないことで、これは、必ず古い伝説があるのである。

 ここに正しくかない、いと尊い。

 そもそも直御霊(なおび)のことは、古伝六に詳しくいったので、合わせて考えて知るとよい。

※古伝六。
 「神直び、大直び」直とは、未だ直らないのを直す意の名である。既に直っている意ではない。

 穢(きたなき)から清(きよき)にうつる間に、生まれた神で、直びとは、禍(まが)を直したまう御霊(みたま)の意味である。

 某祝詞に、「四方四隅から疎び荒び来む天の禍(まが)つびという神の言う悪事(まがこと)に、あい混じこりあいくちあえたまうことなく云々」、「咎(とが)過ちあるを神直び大直びに見直し、聞き直しまして云々」。某祝詞に「神直び大直びに直したまいて云々」とある。

 これらは、神議(かむはかり)に議(はかり)たまう、神逐(かむやらい)に逐(やら)いたまうなどの類の語で、ただ「直したまう」ということである。直したまうということをこう表現することから、ここの神の名の意味を悟ってほしい。

 戻る。

 この名、息吹主といわず、息吹所主というのは、先に「早川の瀬に坐(ま)す云々」、「潮の八百会に坐(ま)す云々」という例のままに、これも息吹所に坐(ま)すとすることから、所という言葉を添え、称(たた)えているものである。

 ある人問う。「かのいざないの君のみそぎにこの神たちの生まれたのは、まず、禍御霊(まがつび)、次に、直御霊(なおび)、次に、清明(いず)のめで、その順番、事の趣きにかなう。

 そうすると、ここでも、息吹所主=もし直御霊であるならば、「(川)瀬下りつ姫」の次に、息吹所主、次に、速明き(クリア)つ姫、となるべきだが、この二人(神、大直御霊(なおび))の順番の逆なのは、なぜか。」

 答える。「まず、祓いにて、罪穢れの除かれ清まる順序。

 初めに、(川)瀬下りつ姫、(流れの早い)早川の瀬(水面の背)から、大海原に持ち出でたまい、次に、大海原を経て、潮の八百会(やおあい)(渦潮?)まで至るのは、この息吹所主(いぶきどぬし)の神が、息吹放(はな)ち、送り遣(や)りたまうもので、次に、速明きつ姫が呑みたまうのである。

 そうすると、かのみそぎによって生まれた順序と違うところはない。

 息吹所主を瀬下姫の次にいわなかったのは、後にここにいうために省いたものである。

 もし、そうでなければ、大海原の間を、はるばると経て、潮の八百会までは、いずれの神の送り遣(や)りたまうことになるのか。

 上文に「持ち出でなむ」「かく持ち出で行なば」と行くの字を加えられていることに心をつくべし。

 瀬下りつ姫のことは、持ち出でるまでであるため、そこには、行くとはいわず、行くのは、持ち出でた後のことで、大海原を経て行くもので、この一言に息吹所主の御しわざのこの間にあることを思わせる、上代の文の妙も妙である。

 なおざりに見過ごしてはならない。

 さて、そのことを、そこにはいわず、ここにいうゆえは、清明(いず)のめの呑みたまい、その潮の八百会から、また、根の国まで、送り遣(や)りたまうのも、同じこの直御霊(なおび)の神の御しわざであるために、ここにいい、かしこでの表現に代えたものである。

 それは、この神は、すべてよろずの凶事(まがこと)を直し、清めたまう御霊(みたま)の神であられるので、広くいうときは、早川の瀬に流れ出て、根の国に至り、さすらい失(う)するまで、始めから終わりまで、この神の御霊(みたま)のなすわざであるからである。

 もしこれを、瀬下りつ姫の次にいうときは、その(直)御霊(みたま)の終始にわたること、表れがたく、また、潮の八百会から、根の国までの間のことも、欠けるもので、かれこれをもって、ここに挙げられているものである。

 なおいえば、罪穢れの潮の八百会に没亡(いりうす)るまでは、顕国(うつしくに)のことで、それより更に根の国についていうときは、かの潮会に没(い)りゆくのは、彼方にては、できるもので、水門(みなと)であれば、先にもいったように、清明(いず)のめの神は、水戸(みなと)の神とあるにもかない、顕国(うつしくに)で、早川から水門を経て海に出るところにも、この神の御霊(みたま)があって、またかの八百会から彼方へ流れ出る所にも、顕国のように、瀬下りつ姫の御霊あるべきこと、互いに准(なずら)えて知るとよい。

 かくして、それを根の国まで送り遣るのは、顕国では、大海原を経て、八百会まで送り遣ることと同じで、直御霊(なおび)の神をここに挙げることはまたその理由がある。

 根の国に至り、さすらい失うのは、顕国では、清明(いず)のめの神が呑みたまうのと同じで、速サスラ姫の御しわざにも、清明(いず)のめの御霊(みたま)あるのである。

 このようにこの神たち、互いに御霊(みたま)幸わいて、祓いの巧(いさお)をあい成したまうものである。

 考にこの神の説なし。上に物を呑みては云々とある。これこの神の解である。そもそもこの段は、祓いの主とあるところだが、考の説すべてこのようにた易くなおざりにして、かの寓話という物のように考えられているように聞こえるのは、どうしてか。

○「根の国、底の国に息吹放ちてむ」
 考。
 根と底とは同じもので、二ついうのは、表現である。記に「進む男云々、我は母の国根の片隅の国に行きたい」また、神代紀に同神のことを「汝が所業(しわざ)いと無頼(あじきなし)云々、底の根の国に急(と)く行くべしと共に逐(や)らい降去(くだし)き」とある。

 後。
 根の国、底の国は、黄泉の国である。

 古伝に詳しくいった。
※「黄泉国」
 黄泉は、死にし人の行きて居(い)る国である。名の義(こころ)は、口決に夜見土(よみど)とある。土の字は、誤りだが、夜見の字は、さもありぬべし。下の文に「独一火」とあるから、暗い所と思われ、「夜の食(お)す国をしろしめす月読(よ)みのミコト」の「よみ」も通いて聞こえる。

 祝辞に「わがなせのみことは、上つ国をしろしめすべし。あは下つ国をしらむと申して云々」とあり、「ハハの国、根の(下の)片隅(すみ)の国に行きたい」と進む男がいったことなどから、考えると、下方(したべ)に在る国である。
 
 外国の書にいろいろ書いてあるであろうが、誤り。さる外国の道々の書のなかった上代の心に立ち帰り、ただ 死に人の行きて住む国と理解するとよい。

 (ある人問う。「死にて夜見の国に行くのは、この身ながら行くのか。または、魂のみ行くか」

 答える。「この身は、なきからとなりて、顕国に留まり在れば、夜見の国には、魂の行くのである。」

 また、問う。「男神(いざないの君)の火を灯してみたまえば、うじたかれ云々といい、紀に「その妻に会いたいともがりの所に至った」ともあることを考えると、夜見の国に行くというのは、実には、ただ地下(つちのした)に蔵(かく)すことをこそいい、別にその国があるのではないのではないか。」

 答える。「それは、例のさかしらな解釈で、誰でもそう思うことだが、さてはここにその国でありし種々(くさぐさ)のことを伝えているのは、みな作り話となる。すべて神代の伝え説(ごと)は、みな実事(まことのこと)でそうある理(ことわり)は、さらに人の智(さとり)のよく知るべき限りにあらず。

 さかしら心で考えるべきではない。

 女神の初めに出迎えられたときは、しばらく顕国に坐(まし)し世の御形になり、見えたまいしなり。

 紀に、「なお生きているように出迎え、共に語った」とある。男神の火でひそかに見たまえるは、夜見の国の実の御形である。かの海神宮の段にも同じ類のことある。

 「もがり(埋葬まで棺に納め安置されている。)の所に至った」とあるのは、死人に会おうとして、夜見の国に行くには、その骸を蔵(かく)したる所から行くことになる。

 記に、よもつ平坂は、出雲のいいふや坂とあれば、帰り来る路は、かの地(ところ)あたりへ出たまうのである。

 すべてみな伝え説(ごと)のままに理解すべきである。

 これは、みな神の御うえのことで、凡人(ただびと)は、この世にある現(うつ)し身ながら、夜見の国に行き見ることはなく、並べていずれの道から生き帰るなどは、定めいうべきではないが、何事も神代の跡をもって、物は定めることなれば、そう心得てあるべきものである。

 貴(たか)きも賎(いや)しきも善きも悪しきも死ねばみなこの夜見の国に行くのである。

 戻る。

 そもそも世の中の凶事(まがこと)は、みなもと黄泉の国から起こり来たことで、祓い禊ぎは、その罪穢れの凶事を、もとの黄泉の国へ返しやるしわざで、この祓い禊ぎすることを、天の神国の神が聞こし食(め)し納(い)れるのは、この段の神たち、その祓い棄てたる罪穢れの凶事を、次々によみの国に送り返しやりたまい、世の中の罪穢れ、除かれ、清まり、凶事(まがこと)無き、これぞ祓い禊ぎの旨趣(おもむき)である。

 息吹は、「息以って吹く」である。放ちは、「はなちやる」である。

 速明きつ姫には、呑むといい、この神には、息吹放ちというのも、実にこの別ある。

 かの呑みたまうは、顕国(うつしくに)の罪穢れの除かれ、失せるもので、呑み没(い)れ失うのである。

 この息吹放ちたまうは、既に根の国の方に移ったのを、受けて根の国までやりたまうもので、その物を、み息でもって吹きやりたまうのである。

 この二つの心ばえ、直御霊(なおび)の神と清明(いず)のめの神とによく当たっている。

 古伝禊ぎの段を考え合わせて知るとよい。

 先にいったように、初め川瀬に流し棄て、終わりの根の国に至りさすらい失うまでを一つに合わせていうときは、みなこれ、凶(まが)を吉(よき)に直す直御霊(なおび)の神の御霊(みたま)の御しわざであり、同様に、この息吹放ちということも、終始、祓い禊ぎする所から始まって、根の国で、さすらい失う所まで、すべて息吹所であって、その間のことは、みなこの神のいぶきはなちたまものである。

○「かく息吹放ちてば、根の国底の国に坐(ま)すサスラ姫という神」
 考。
 この神の名は、次の言葉をもって思うに、サスライという言葉であり、「イ」の字が落ちている。「ライ」の略「リ」であれば、もしサスリであったのを後の人が「ら」に改めたか。

 後。
 サスライ姫というべきを一字足りないのは、すべて古言に、このように同音の重なるのを一つに省く例あり。

 この神は、記に進む男の大神の御娘にスセリ姫(進む姫)といい、黄泉の国に坐(ま)す神がいらっしゃる、これである。「ス」と「サ」「セ」と「ス」通う音で、「ライ」は「リ」と縮まるので、「さすらい」と「すせり」と御名通う。

○「持ちさすらい失いてむ」
 考。
 底の底で、さすらい失うものである。某紀に百姓流離をおおみたからさすらえぬとある。

 さて、この瀬下りつ姫、息吹所主、速さすらなどという神の名は、物に見えないが、所として、神のいらっしゃらない所はなく、功として、神のなしたまわぬ功はない意を得て、その所その功によって、このように名付けたたものである。

 古意を得た文で、文というものを心得ない人の惑える説ある。

 後。
 さすらいうしなうは、行方も知られずして、失いたまうのである。流離の意味である。ただし、この言葉、考に引用された流 離とは自他の違いがある。この祝詞は古文であるので、こちらを取るべし。

 このさすらい姫は、すすむ姫で、その神は、祓いには由縁(よし)なきがごとくだが、これに深い由縁(ゆえよし)がある。

 それは、まず、息吹所主が根の国にいぶき放ちやりたまう意で、祓いのことは終え、この姫神の、さすらい失いたまうのは、その祓いの験(しるし)を立てたまう御しわざである。
 
 ここの四柱の神の中にこの神のみは、かのいざないの君大神のみそぎによって生まれた神ではなく、その禊ぎの験(しるし)として生まれられた。貴(うず)み子進男大神の御娘である。

 これは、また深き理(ことわり)である。

 初め、その御父大神、また祓いによって、罪穢れ清まり、世に大功(いみしきいさお)を立てたまい、その末(みこ大国主の神、はじめしばしば、八十神の禍事(まがこと)に遭いたまいしを、根の国に至り、進む姫に娶(みあ)い、この姫の御はからいにより、顕国(うつしくに)に帰り、世に類(たぐい)なき大 功を立てたまえる。

 これは、この姫神の、人民の罪穢れをさすらい失いたまい、福(さち)を得たのと、ことの趣き 運び、まったく同じであることを考えるとよい。

 大 国主とこの姫神と共に禊ぎに生まれられ、進男大神のみ末であり、夫婦(めお)となり、この功を立てたまえること、また深き理(ことわり)がある。

 すべて世の中の凶事(まがこと)は、そのはじめよみの国から起こったのをこの大 国主の神の禍事(まがこと)により、黄泉の国に至りませるは、そのまが事の、よみの国に還ったもので、祓いの趣きと同じ。

 さて、それをすすむひめのさすらい失い、功を立てしめたまえる。これらの事の次第、黄泉、禊ぎの段、大 国主のよみに至り顕国に帰りたまい、功を立てられるまでの神代の段などを引き合わせて、祓いの旨の妙なることをさとるべし。

 考に先の神たちの御名の古書にないことについていわれた説は、精(くわ)しからず。所として、神のまさぬ所なく、功として神のなしたまわぬ功なきはこれ各その神ますなれば、その神は、いずれの神と考えの及ぶ限りは調べなければならない。

 速明きつ姫は、記にも紀にも記述がない。これに准(なずら)え、あとの三 柱の神もただ後に名を設けたのみではない。

 必ず、神代の書に見えたる神たちであることをさとるべし。

 すべて古文に意を得て書く人の新たに神の名を造っていうこと、かつてなし。

 もし、さもあらば、なかなかに古意を得ざる後の世人の、例の他国心のさかしら文である。

 すべて、この段は、そのようになおざりに見るべきではない。

○「かく失いてば、天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕えまつる、官々(つかさづかさ)の人どもを始めて天の下四方には今日より始めて罪という罪はあらじと」

 後。
 「あらじと」「祓いたまい、清めたまうことを」と次の語を隔てて続く。

 上に「皇御孫のみことの朝廷を始め」云々、「罪という罪はあらじ」といい、また「云々の事のごとく、遺(のこ)る罪はあらじ」といい、またここにもいうのは、同じことの徒(いたずら)に重なり拙きがごとくだが、これは、古文の常で、よく語の筋道を考えると、拙からず。筋道よく通って聞こえる。

 すべて同じ言葉の重なるのは、一文字でもつたなくなることもあるが、さまによっては、いくつ重なってもよい。今(宣長の時代)の人は、つとめて同じ言葉を重ねないように構えるから、なかなかに拙くなること多い。

 中昔の文、殊に伊勢物語などは、殊更に同じ言葉を幾つも重ねいい、味わいを持たせていることも多い。

○「高天原に耳振り立てて聞くものと馬引き立てて」
 考。
 馬は、耳疾(と)き獣であるゆえに、天の神国の神のこの申す祓いの詞を、とく聞(き)こし食(め)すことに譬え、祓い物とするのである。

 某詞にも、馬を献ることを「振り立つることは、耳の弥(いや)高に天の下しろしめさむことの云々」とあることで知るとよい。

 頭書。
 後の世の本にここを「さお鹿の八つの御耳を振り立つる」というのは、誤り。

 後。
 高天原にとは、殿造りをいうに、高天原に千 木たかしりと表現するのと同じで、ただ高くということである。必ずしも高天原まで至るという由(よし)ではない。

 この言葉を高天原に坐す神たちに聞こし食(め)せという意味であるとの説はいとつたない。

 「引き立てて」「祓いたまい」と続くてにをはである。大祓いに馬を引き立てることは、既にいった。

 朝野群載に云々とあるのは、中昔の人の古代のことを意味も知らずにみだりに言葉を変えたものである。

 紫式部の日記に「陰陽師ども世にある限り召し集め、八百万の神も、耳振り立てぬはあらじ」とあるのは、そのころ既に世にかくも歪めて物せしものである。

○「今年の六月晦日。夕日の降(くだ)ちの大祓いに」
 後。
 夕日の降(くだち)とは、夕つ方をいう。降(くだち)は古言である。朝にすることは、朝日の豊栄登(とよさかのぼ)りにという。朝夕のことをこう表現するのは、いにしえの雅言(みやびごと)である。

○「祓いたまい清めたまうことを諸々聞こし召せと宣(の)る」
 考。
 これにて祓いの詞終わる。百官称唯する。

 後。
 諸々とは、初めに「集侍親王云々等諸」とある諸のこと。宣るとは、中執臣自らいうこと初めと同じ。

○「四(も)国(よくに)のト部ども大川道に持ち退(まか)り出でて、祓いやれと宣(の)る」

 後。
 この一段は、祓いの詞を宣(の)り終わって、別にト(うら)部に仰る詞である。これも続けて中執臣が宣(の)るのである。

 考。
 ト部は、解除(はらい)のことをとるなれば、祓い詞終えて後、その祓つ物を、川辺に持ち出て、流しやれと、仰せたまうのである。

 「も」の字は誤り。

 川道の道の字は不要。

 ト部は、職員令に、「ト部二十人」とあり、某式に、「ト部は、三国のト術優れたる者を取る。(伊豆五人、壱岐五人、対馬十人)」とある。四方国というのは、なぜであろうか。

 この詞もし藤原朝の末に書かれたものであれば、ト部のこともいわれるであろうが、飛鳥、近江、大津の朝であれば、云々。

 すべてこの詞はめでたいが、ここに至り、文の拙く疑わしいことのあるのは、後に加えられたものと思われる。

 頭書。
 諸国でも、ト部を用いられたこと見えない。大宰府にも令に陰陽はあるが、ト部は見えない。しかれば、四方国のト部というものはなかったのではないか。
 
 後。
 四も国の「も」は後の人の賢しらに加えたものである。

 ト(うら)部は、考にいわれたように、三国から出て、諸国から出たことはない。されば、これは、四国で四カ国のト部である。

 某式などに記述ある。

 伊豆、壱岐、対馬、今一国は、京にあるを加えていった。某式から、在京のト部もあることが知られる。

 川道(かわじ)とは、祓つ物を流し棄てて、海原にやるに、川はその道であるために、殊に道というのである。この流しやる川は、その時々の京によって、いずれの川にてもあるべし。今の京では、鴨川に流す。

 退(まか)りとは、京から外へ行くことをいう。

 祓い去(や)れは、神祈 令にト部解除(はらい)をなすとあるこれである。

 考に、四も国のことをあれこれいわれているのは、四国のト部の存在を考えもらされたるゆえである。川道の道の字を用なしといわれているのは、なおざりである。

 ここの文の拙いといわれるのも当たらない。もの字を除いては、拙いところはない。

 さて、この段は、「集侍親王云々」の段と共に二季の大祓いの定まりしときに、加えられた文であること、論なし。されば、この詞もし藤原朝の末に書かれたものであれば、云々の論は、ここには用なきことである。

 つづく
(本文は、おしまい)
 
 


posted by 青田猫三齋 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 本居宣長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

「本日の更新」

 「本日の更新」は、本文の後に掲載。

 「落語家伝」
 宣長のパクりのような、タイトルが付いているが、家元立川談志の落語を最近CD等で聴いていて、初心者の感想を気ままに書いていくというだけのものである。誰かが先に使っているタイトルであれば、改題する。どこかで見た題名のような気も…。「噺家伝」でもいいか…。おいおい考えていく。

 大はらいが、肩が凝るので、優雅に肩の力を抜く感じといえば、かっこつけの言葉か。バランスを取りたいのかよく分からない。半分、話言葉の勉強の意味もあるかもしれないが…。初心者でえらそうなこと書けないので、ということでもないが、小連載。物足りないくらいの短文で綴ることになる。

 家元の本は、思い出してみると、大学の頃に二、三冊読んだことがある。「世の中与太郎でええじゃなか」とか何とかいう題名だった。

 落語とは「業の肯定」であると書かれていた。落語を聴いたことは、なかったが、「なるほど」と思った。

 最近知ったのは、「伝統を現代に」「人生成り行き」の言葉である。

 イリュージョンという言葉もよく使われる。芸術にいう解放の意味に近いかもしれないと勝手に思っている。

 つづく

 
 
posted by 青田猫三齋 at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「その五」

○「こと問いし岩根、樹立ち」
 考。
 物を言うことを古代、言(こと)問うといった。万葉の歌に多くある言葉である。先の「神問わし」とは違う。樹立は、某詞にあるように、「このたち」と読む。木の切株(きりくい)のことである。

 木の立ちというのは、全き木はもとより、切り株などまで物を言うことである。草の片葉に対していわれている。

 後釈。
 岩根は、ただ岩のことで、根は、単に添えていう語である。

 屋を屋根、羽を羽根、杵(き)を杵根、矛を矛根、島を島根という類である。考の別の箇所に、岩の高く現れているいわおといい、深く土にあるのを岩根というとあるのは間違い。

 樹立は、きねたちと読む。ほかの祝詞には、みな木立とあるが、こだちと読んでは、意味が合わない。常にいう木立(こだち)(木の生い立ちたる地、林)のことではない。

 考の説のように、切株(きりくい)のこと。紀に木株とあるのも、その意味である。

 字書に「株は、木根である」と注してある。

 そうすると、なぜ樹立、木立とあるかというと、岩根、屋根などの例のように、ただ木のことを、根を添えて、木根ともいうためである。木立とある場合、木の一字を「きね」と読み、屋の字はやね、羽の一字でもはねと読むならいである。

 草をくさね、木をきねということもあるが、ここでは、木根立で、これは、なお根に意味がある。

※「物を言う岩、切り株」

○「草のかき葉をも言(こと)やめて」
 考。
 垣葉は、某詞には、かきはとあり、某詞には、理(ことわり)をもって片葉とある。相い照らして読みも、意味も知るとよい。

 よろずを平らげ、この国の内に、いささかのあやしげもないようにして、空の国から降り立たれる由(よし)である。

 後釈。

 垣の字、某には、破と書かれている。この破の字と、片の字を合わせて考えると、かき葉とは、まず、すべて草は、大体三葉、五葉づつなど、並んで生える物であり、それをかき取り、ただ一葉など残ってあるさまをいう言葉で、意味は、「いささかの草の一葉まで」というものである。

 紀には、ただ草葉とあるが、それは、例の他国風に縮めて書かれているのである。

 止(や)めてというのは、今の世の心で思うと、自ら止めたように聞こえ、「をも」というのに意味が合わないように聞こえるが、そうではない。やめは、止(やま)令(せ)の縮まったもので、「他をして止(やま)しむる」意味である。

 されば、自身のことにいうときも、自(おの)ずからやむことには、やみといい、やめとはいわない。

 やめは、ことさらにやめると思い、やむることにいう。

 これらのこと、記紀に詳しい。

※「いささかの草の一葉まで言(こと)止(や)めさせ」。
 「岩、切り株、草一葉まで、物を言うことを止めさせる」といった感じか。全くの静寂の感じ?

○「天(あめ)の岩座(いわくら)はなれ」

 考。
 子孫(みま)のみことの天にいらっしゃった御座(みくら)を離れられてという意味。

 岩とは、堅く常なる意味にいう。

 記に、「天の岩位を離れ、天の八重たな雲を押し分け、いつのちわきにちわきて」云々とある。

 後釈。

 すべて御子孫(すめみま)の空の国から降り立たれるときの箇所を読むときに、心得ておくことがある。

 子孫(みま)のみこと自らのうえからいうときは、放は「はなれ」、天降は「あまくだり」と読む。

 しかるに、ここは、下に依(よ)さしまつりきとあり、皇祖神(御先祖)の詔命により、天降らせる方からいうので、天降は、あまくだしと読む。

 そうすると、放も、はなちと読むようだが、次の八重雲云々は、子孫(みま)のことをただにいう語であるから、それと同じく、放ははなれと読むのが自然である。

 下に天降しといい、すべては、皇祖神(ご先祖)の詔命で、そうさせたことになる。

 御子孫(すめみま)を云々して天降(あまくだら)令(し)め、天(あめ)の岩座(いわくら)を離れ(令め)、との意だからである。

 天降しのしは、令(し)めの意味で、その令(しめ)を、天の岩座(いわくら)まで係けてみると、放ははなれと読むことよく分かる。

○「天の八重雲をいつのちわきにちわきて」

 考。
 いつは、息の出るということからの言葉で、勢いをいい、これにより、稜威・厳などの字を充てる。

 八重雲は、やえぐもというのも常だが、古事記により、やえたなぐもと読む。調(ととのえ)もよく、言も雅びであるからである。

 千別の千は、借り字で、道別(わ)きの略である。

 紀に、道別とある。
 
 神武紀に、「雲路を披(ひら)いて、駈山(みさき)はらい」とあるこれである。

 後釈。
 いつは、稜威である。このつは、清音で、記紀の訓注などみな、清音で書き、濁音の仮字を書けることなし。
 
 しかるをここに、濁音の頭の字を書けるは、既に仮字の清濁混じりたるのである。

 考に、稜威(いつ)と厳(いづ)とを一つにみなされているのは誤り。

 紀に厳の字を書かれているのは、忌み清めた意味で、記に「いづ」と書かれた言葉で、づは濁音。

 それは、稜威とはもとより別で、清濁も違い、関係ないことだが、
稜威の「つ」も誤って濁るためにみな一つの言葉と思い違いをしている。

 このことなお記伝に詳しくいった。

※古伝六。
 「いずのめのかみ」の箇所に詳しくある。
 「いず」は、既に汚垢(けがれ)をそそぎ、はらって、明(あか)く清まった意味で、明津(あきず)の縮まった言葉である。

 紀に云々の例ある。神をまつる時のことで、斎(いわ)い、清浄(きよめ)る意味から、「いず」という。(かの稜威(いつ)と一つに心得るは、誤り。稜威は健(たけ)きこと、厳(いず)は清きことをいい、もとより別。

 また、いつく、いわう、いむ、などももとは、穢悪(きたなき)を除(のぞ)き去(す)て、清明(きよく)する意味で、この「いず」から出た言葉である。

 後には、「いつく」は敬う方に、「いわう」はことほぐ方、「いむ」はきらう方になったがもとの意味は一つ。)

 斎忌(ゆき)、斎庭(ゆにわ)など斎(ゆ)も同じ意味。

 されば、この神は云々(多分後述)。

 本文に戻る。

 また、このいつを息出と書かれている説も信じがたい。

 八重雲を、記から、やえたなぐもと読まれているのも、言葉の雅なことは、そうだが、ここには、たなの字ないので、そうは読まない。

 すべて祝詞の書き方は、ただ読むべきままに書かれたもので、紀万葉などを読むように、文字を離れて、違ったさまに読むべきではない。

○「天降し依(よ)さしまつりき。
  かく依(よ)さしまつりし四方(よも)の国中と」

 考。

 国中は、先の意味とは異なる。ここは、真中では、物足りない。国のまほらとも読むか。

※「まほら」
 「「ま」は、美(ほ)むる語。「ほ」は含(つつ?ふく?)む意。景行帝の御歌に、国の富(ほ)とあるもこれなり。「ら」は助辞。(中略)丘山に包まれて籠りたる地。又、まほらま。まほろば。」「言海」より


 ここからは、神武の代を言っている。

 万葉巻二の某の長歌に、神代からのことをいたく略(はぶ)いて言い続けるさまに似ている。かれは歌、こちらは文の違いはあっても、古代を巧みに表現している意味では等しい。

 考頭書。

 景行紀の歌に、「やまとは国のまほらま云々」とあるのを、神武 紀に「国の奥區」とも書かれていることを考えると、国中の字も同じ意味で、くにのまほらまと読むものであろう。

 後釈。

 四方の国中は、天の下四方の国の中央である。考に、国中をくにのみなか、くにのまほらまと読むといわれているのは、意味はそうでもあろうが、読みはそうではない。字のままにくになかと読み、国の中央と聞こえる。

 すべてこの祝詞などもその文字の定まった読みを離れては読まないことは既に言った。

 この詞、某祝詞にもある。

○「大倭日高見(おおやまとひたかみ)の国を」

 考。

 大倭は、今の大和の国で、古代の天皇の代々、この地を宮所とされたことをいう。

 さて、やまとという名は、もとこの国山の辺の郡のやまとの郷から起こり、後に一国の名となったと思われる。

 その郷の名は、山門(やまと)という意味である。

 これらのことは、古き由(よし)を調べ、万葉考の別記に詳しくいった。

 この国の名のこと種々の説はあるが、よく分かっていない。

 日高見の国とは、やまとの国は、四方の真秀(まほ)なることを褒めて、天にある日の、空の真秀に高くあることに例えていっているのである。

 太陽が空の真ん中にあるのを、日高しというのは、古代から言われていた言葉と思われる。

 火々出見のみことを、海神の空津日高ともいったことも考え合わせるとよい。

 また、紀に陸奥に日高見の国、紀の国に日高郡があるのは、私記にあるように四方の望み高く遠いために名付けたか。ここにやまととあるのは、そうした意味のみとは思われない。

 頭書。
 
 やまとを大和と書くのは、奈良の朝からのことである。

 倭と書いたのは、それより前の飛鳥宮の頃から始まった。それ以前にはなかった。

 倭の字は、から人の他国をいやしむことを好んで用いた文字だが、ここにかの字を借りて書いたのは、それと知ることなく、そのまま書いたものである。

 後釈。
 やまとのこと、私の考えは、「国号考」に詳しくいった。

 日高見の国とは、山遠くしてうちはなれ、平らに広い地をいう。

 山の近い地では、山と空の太陽との距離が近く見え、日が低いところに見える。
 
 うち離れて広い地は、山が遠いため、山と太陽の距離遠く、太陽が高く見えるものである。

 大和の国の中央は、広く平らなる地であることから、こういっている。
 
 いずれの国でも、地形的には同じ表現ができる。

○「安国と定めまつりて」
 後釈。
 この安国は、特に畿内の大和をいい、大宮を建ててお住まいになり、安らかに治める国と定められるのである。先に広く空の下を治めることと、宮を建ててお住まいになること、意味は違うが、安らかに治められる意は等しい。

 ここは、神武からの御事をいい、すなわち、その代から、大はらいにいわれた詞でもある。

○「下つ岩根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて」
 考。

 太敷は、柱を太く繁く立てる由(よし)である。敷くは、繁くである。

 高天原にとは、空に高きをいうのみである。大はらい詞には、馬の耳の高きにさえ、(例えて)いっている。

 知りは、敷きと同じで、繁きをいう。千木は、垂木(たりき)である。たりを縮めてちといっている。

 (中略)

 この下津岩根から下の言葉は、いと上代の妙なる言葉で、古事記には、神代の宮造りにもいう。

 後釈。
 これは、神武からこれまで、大和国に建てられた皇大宮(すめらおおみや)をいう。

 太敷立、高知り、千木(ちぎ)のことは、古伝十に詳しい。

 考に、敷=知=繁とあるが誤り。

 知りという言葉は、柱にも、千木(ちぎ)にも、殿にも、国にも用いるが、敷は、千木には、いわない。

 千木高知りの知りの意味は、なおよく考えるべきである。
 
 考に、千木=垂木とあるのは誤り。千木は、屋根の両端にのみあるもので、繁くあるものではない。

※古伝十。
 「底つ岩根に宮柱」
 式の祝詞などに、下つ岩根ともある。すべて神代には、神の宮も人の舎宅(いえ)も伊勢神宮などの製(つく)りのように、地を掘り、柱を立てたために、そのことを称えていう言葉である。(今の世にも、賎(しず)が家(や)にはこれある。堀り立てという。地の上に石据(いしずえ)をして柱を立てるのは、後のことである。

 岩根は、ただ礎をするのではなく、地の底にもとからある石根まで、深く掘り立てるという意味)である。(高天の原に云々は、反対に高きをいったもの。)

 それは、柱の立つのが、堅く動かない意味である。

 大殿祭詞に、「この敷きます、大宮地(おおみやどころ)の底つ岩根の極(きわ)み、下つ綱根(つなね)、這う虫の禍(わざわい)なく、高天原(たかまのはら)は、青雲のたなびく極み、天(あめ)のちだる、飛ぶ鳥の禍(わざわい)なく、堀り堅(かた)めたる柱云々」などある。

「太知り」
 祝詞などに、太知立、太敷立、広敷立、広敷立ともある。

 それは、先生の説に、万葉二に、天皇(すめらぎ)の敷きます国といい、某詞にも云々など、知りますを敷きますというもので、知りと敷くとは、同じとある。

 この称(たた)えていう言葉を、古来ただ柱のことのみをいうと思われているが、そうではない。

 万葉二などにある例から考えると、宮柱太知りも、その主が、その宮を知ります(治められる)ことをいう。

 「太」も先の万葉に、柱に限らず、国を知ります意味にもいうもので、ただ広く大きくという称え言(ごと)である。(太みてぐら・太のりと・太占(まに)などともいう)
 
 これは広(ひろ)知りともいう。

 そうすると、この語は、もっぱら柱に係るのではない。その宮の主に係る語であり、太という語が柱に縁(よし)あるから、宮柱太くという意味も兼ねてその宮をも寿(ことほ)ぎたものである。

 紀神代の下巻に、「その宮を造る制(のり)は、柱すなわち高く太く云々」万葉二に「ま木柱太き心は云々」とあるなど、柱は、太いことを貴(とうと)ぶ。

「ひぎ」
 諸祝詞には、多くは「千木(ちぎ)」とある。名の意味は、ひぎ、ちぎ共に肘木(ひじぎ)で、下を省くか、上を省くかの違いであるだろう。すべて物の形のVの字をひじといい、手の肘(ひじ)もこの意から名付けられている。その「ひ」はもともと「ふり」の縮まったもので、ふりとは、その形のようにもとは一つで、斜めに左右へ末の分かれた物をいう。

 この「ひぎ」は、上代の家造りに、屋の左右の端にあって、そのもとは、前後の軒から上(のぼ)り、棟で行き合うのを組み違えて、その末を長く上へ出したもので、その棟から上へ出た部分をひぎという。

「高知り」
 単にひぎ(千木?)のことではなく、主がその宮を知ります(治められる)ことをいう。

 先の太と同じく称(たた)え言(ごと)である。

 某の詔に「天の下の政(まつりごと)を、いや高(たか)にいや広(ひろ)に云々」、万葉六に「わが大王(おおきみ)の神(かむ)ながら高知らする稲見野(いなみの)の云々」「神代から吉(よ)し野の宮にあり通(がよ)い高所知(たかし)らするは、山川をよみ云々」という歌などから意味を知るとよい。

 ひぎは、棟の上に高く上げるものであるためにその意味も兼ねて宮をも 寿(ことほ)ぎていっていること、宮柱太知りに同じ。

 この宮柱云々、ひぎ云々というのは、いといと上代から、定められた宮造りの称え言で、いとも雅な言葉である。

 神武巻に「かれ古事(ふること)に称えて、うねびの橿原に底つ岩根に宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて、初国知らす天皇(すめらみこと)と申す」、式八巻の祝詞などに多く見え、神の宮にも天皇の御殿にもいう。
 
○「皇御孫のみことのみずの御舎(みあらか)仕えまつりて」

 考。
 みずは、万の物の稚(わか)く健やかなることをいう。某紀にみずみずしクメの子ら、万葉に若枝のことをみずえさしという如し。今の人の語にみずみずしというものこれである。みずほの国、みずのみあらかなど、みなその意味の褒め言葉である。瑞の字を書くのは(意味が)遠い。

 後。
 「みず」は、物のうるわしきを褒めていう言葉である。御舎(みあらか)は御殿である。

 「仕えまつる」は、ここは、造りまつることをいう。
 すべて下なる者の上のたまにすることを、何のわざでも仕えまつるという。今(宣長の時代)俗に、つかまつるというのは、仕えまつるを訛ったもので、そのつかまつるも物を造ることにもいう。ここの仕え奉るも同じ。

 御舎の下に「に」と読みを付けるのは誤り。

 考に「みず」の注にすこやかなるといわれているのは誤り。

 これは、「みつみつしいクメの子ら」の表現を思ってのことで、この箇所、記紀では、「みつ」と清音のつを用い、みずの御舎のみずとは別である。こちらは「ず」と濁り、この「みず」には、すこやかなる意味はかつてなし。

○「天(あめ)のみ影日のみ影と隠(かく)りまして」

 考。
 屋は、天を覆い、日を覆うための構えであることを文にこう表現することは、中つ世、後の人ではできない。

 後。
 隠は、かくりと読む。古言には、多くしかいう。

 隠(かくり)とは、御殿の影に覆われ、その内にいらっしゃることをいう。人に見えないようかくれることではない。

 中昔までも「雨によりたみのの島をけふゆけど名にはかくれぬ物にぞりける」、「わが門に千尋ある蔭(かげ)をうえつれば夏冬だれかかくれざるべき」などある。みなその影に覆われる意味である。

○「安国と平(たい)らけくしろしめさむ国中(くぬち)に」
 
 考。この国中は、すべて国中をいうのである。

 後。これは、上に「みず穂の国を安国と平らけくしろしめせと事依さしまつりき」とある。その天の下四方の国々の内にである。

○「成り出(いで)む天(あめ)の益人(ますひと)らが」
 考。
 記に、いざない女君が「人草一日に千頭絞り殺さむ」といい、いざない君、「われは一日に千五百産屋立てむ」といった。

 これにより、世の人は、死ぬより、生まれる方が多いので、益人という。

 ここにいう人は、この国の人をいうが、そのもと天の神の生まれられる意味から来ているので、天のと褒めていうのある。この類の表現後にも多い。
 
 後。
 かのいざない君の詔われたままに世の中の人のしだいに多くなる中に、あるいは、国の乱れにより、戦いで亡くなり、あるいは、疫病など、諸々のわざわいなどにて、にわかに多く亡くなることもあり、少なくなる折もあるが、古代からこれまで長い間でみると、しだいに多くなっているのである。

 すべて天の某というのは、もとニニギ(熟した稲穂)が空の国から降り立たれた始め、天から持って来られた物をいい、また、天の物にならって造られた物、ならいとすることにいうが、意味が広くなり、必ずしも然らぬ物、ことにも、ただ褒めていう意味となった。

 天の益人の表現も然り。

 また、思うに、もと高天原の人草、しだいに多くなることを、地面の国の人も多くなることの高天原と同じことからいったものか。

 そのもと天の神の生まれられたことに由来するというのは解し難い。

○「過ちおかしけむ」
 考。
 けむは、けるらんの略である。

 後。
 諸々の罪條の中には、おのずからなるけがれ、おのずからある災いなどもある。

 それは、過ち犯(おか)すとはいわないように思われるが、ここは、そう詳しく事を分けていう箇所ではないので、過ちを犯すことにいい、おのずからあるけがれ災いなども、その身にこそ過ちを犯したものでなくても、他からいえば、それも同じく「過ち犯せる」である。

 先に「しろしめさむ」「なりいでむ」といわれた「む」は、後までをかけた言葉で、ここの「けむ」は、過去(すぎ)たことをいい、かの「む」とは、違うように思われるが、そうではない。

 必ずかくあるべき語である。

 その故(ゆえ)は、ここは、まずすべては、後の時代までを係(か)けていわれたもので「む」という。ここの罪を「過ち犯す」のは、大はらいの時点で、その時までに既に過ち犯した罪をいい、いく先(未来)をも係(か)けていうので、「む」となる理(ことわり)である。

 考に「けむはけるらんの略」とあるが、…。

○「雑々(くさぐさ)の罪事(つみこと)は」
 後。
 罪は、つつみで、罪事は、つつみ事である。後に詳しくいう。

 雑々は、種々(くさぐさ)で、次にある天つ罪、国つ罪のことをいうものである。

○「天(あま)つ罪と」
 考。
 次にある七つの罪は、進む男の天(空の国)で犯した罪であるためにこの類の罪を後にこの(地面)国の人の犯すものも天つ罪というのである。

 後。
 「と」は、「とて」という意味。ここは、常にいいならう意味(ニュアンス、感じ)からいうためである。「といいて」という感じである。

 考には、国つ罪とはとあるならいから、ここにはの字を加えられたが意味が変わるので、そのままがよい。

○「畦(あ)放(はな)ち」
 考。
 「あ」は、「あぜ」。それは、田と田の境とし、また水を貯えるもので、取り放ち境を乱し、水をも湛(たた)えさせないものである。

 後。
 考に、あぜの略とあるのは、本末違う。「あ」がもとの名で、あぜは畦背(あぜ)である。

○「溝(みぞ)埋め」
 考。
 溝は、遠く水を引き、田にかけるもので、埋めて、水を引かせないようにするのである。うめは、うずめの略である。

○「樋(ひ)放(はな)ち」
 考。
 樋は、溝や池から水を引き、あるいは、あふれるとき、もらさないためのもので、取り放ち、旱にも溢にも、すべなからしめるのである。
 
 後。
 この樋(ひ)は、溝でも、池でも構えて、常には、板で塞(せ)き止め、水をたくわえておいて、水を田に引き用いるとき、かの板の塞(せ)きを放つものだが、水の用なきときに、放ちもらし、田に水をあふれさせ、かつ用あるときのたくわえを失わせるのである。

○「頻(しき)蒔(まき)」
 考。
 しきは、重、繁である。神代紀にこれを「重播種子(しきまき)」とある。某には重波と書きしきなみと読む。かくて物の種をまくには、量があるのを、重々(しきしき)まくときは、たとえ生(な)り出でても、繁きに過ぎて、実がならないものである。

 後。
 しきに繁の意味はない。量あるをというのも誤り。この「しき」はただ重なる意味で、一度まき終えたうえに、また重ねてまくことをいう。

○「串(くし)刺し」
 考。
 神代紀に、「進む男の田もまた三所にあった。天の杭(くひ)田・川依(かわそい)田・口鋭(くちとい)田といった。これみな石地であった。雨降れば流れ、旱には(焼け)焦(こ)げた。」とあり、進む男の御田、かくあるために、大み神の御田をもそうしたいと、串を多く隠し刺し、下りたつことができないようにした。杭(くい)串と同じである。

 泥中に杭串(くいくし)の多くある田に下り立てば、足を害(そこ)なう。

 今(真淵の時代)でも、あの田には、杭串があるといい、田人は心するが、なお誤り、悩むこと多い。

 頭書。
 神代紀に、「進む男は妬んで姉の田を害(そこな)った。春は、樋(とい)を廃し、溝を埋め、畦を毀し、また重(し)き撒きし、秋は、くしを刺し、馬を伏せ云々」とある。

 「くしを挿し」を秋にいってあるのは、文章的に春と秋とを対(つい)にしていっているのみである。記紀に春秋分けていう例はない。

 古語捨遺に「密かにその田に往き、串を刺して相争う」とあるのは誤り。両御田は、異なる場所にあることは、紀にその場所を記してあることから明らかで、杭を立て分け、境を争ったよしはない。

 また、紀に杭田とあるのも、もとより杭ある田をいう名で、さらに(境界の)杭を刺し、争ったものではない。

○「生き剥(は)ぎ逆剥(さかは)ぎ」
 考。
 記に「その服屋(はたや)の頂(むね)を穿(うが)ち、天の斑馬(ぶちうま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎ、(そこから)堕(お)とし入る」とあるこれである。
 
 生き剥ぎとは、生きながらその皮を剥ぐをいう。逆剥ぎも一つことなるを、文の勢いに、重ねていっているのである。

 生き剥ぎの逆剥ぎである。

 しかるをある人、逆剥ぎを、死たる皮を剥ぐことというのは、なぜか。

 すべて古今、死たる獣の皮をはぐは常にて、罪とすることなければ、この罪の條には入らないはずである。

 神代紀本書には、ただ「天斑馬を剥ぐ」、一書に「生剥」。

 一書には、記と同じく、「逆剥ぎ」とのみあるが、逆剥ぎがもし死皮剥ぎならば、なぜ生剥ぎは、いわないのか。

 すなわち、生き剥ぎを逆剥ぎともいうことは、明らかである。

 某記、この大祓、某式などに二つにいっているのは、古文の常であり、この祝詞には特に多い。末にも似た重ね言ある。

 後。
 「生剥」を世に「いけはぎ」と読む。それもわるくはないが、「いきはぎ」と読むのがよいだろう。「いけはぎ」というときは、生(いか)令(せ)おきて剥ぐ意味である。

 「いけ」は、「いかせ」の縮まったもので、いきはぎというときは、生きてあるを剥ぐ意味である。いささか感じが変わる。

 逆剥ぎとは、すべて獣の皮をはぐのは、尻の方から、逆さまに頭の方に剥ぎもてゆくためにいう。

○「屎戸(くそへ)」
 考。
 記に「大嘗をきこしめす殿(みあらか)に屎(くそ)まり散らしき」とあるこれである。

 戸とは、家をすべていい、その斎殿を屎屋にしたよしで、戸といえるか。戸は、借り字に用いた例多く、屎所の意味である。所を戸とのみいうことも多い。

 頭書。
 詔戸(のりと)、置戸(おきど)の類もただ「戸」と読む借字である。

 後。
 戸は、借字で、「くそへ」と読む。「へ」は「へり」の「り」を省いた言葉。「くそへり」は「くそまり」とあると同じことで、屎をすることをいう。

 俗言に、小さな虫などの卵を生み出し、物につけおくのをへりつくるともいう。

 ここは、もともと進む男の犯したのは、大嘗の殿をけがしたことによる罪で、この国土で人の世でも、けがすまじき所を、このわざをしてけがしたことを罪とするのである。

 戸を「と」と読み、古語捨遺をはじめ、みなその意味に解くのは、誤り。

 また、考に、所の意味とされたのも誤り。

 罪の名に屎戸、屎所とのみの表現はあるまい。
 
 天の罪七つを挙げ、六つは、みな、放ち、埋め、蒔き、刺し、剥ぎとそのなすわざをいい、罪の名とし、これもへりというはずである。

 また、屎を「くし」と読むのは、くそという言葉のいやしきを避けたもので、それは後のことである。

 古書には、くそという言多くあり、嫌いたることなし。

 万葉にもあり、また師のそを濁音に読まれるのもよしなきことである。

 先の七條のうち、頻蒔から下四條は、もとより体言に読み、罪の名なれば、その例のごとく、はじめの畦放、溝埋、樋放の三條も体言に読む。すべて用言でも、罪の名にいうときは、体言でいいなす例である。今(宣長の時代)も人ごろし、火つけ、関所やぶりなどという言い方をする。

○「ここだくの罪を」
 考。
 右の七つの罪は汎にて、それのみならねば、ここだくという。

 万葉に「ここばくも云々、そこばくも云々」などあり、物の多いことをいう、「ここそこ」のその一方を省いてもいうこと、万葉などにも多い。

 「ばく」は、「ばかり」の「り」を省き、「か」を「く」に通わせたもので、そこばかり、ここばかりである。
 
 物を量り、数えるとき「いくばく」などいう。

 ばく、だくは音通ずるところがある。また、ここら、そこらともいう「ら」は、等で、これも数の多いことをいう。

 後。
 この言葉は、古書ともに、こきだ、こきだく、こきばく、こきし、ここば、ここばく、ここだ、ここだく、また、そきだく、そこば、そこらく、などさまざまにいい、万葉に字は、多く「幾許」と書かれている。

 物の数の多いのを、計ることなく、大よそにいう言葉である。

 考の説、当たりかどうかは分からない。「こ」を「そ」ともいい、ここそこの意のようにも思われるが、どうであろうか。

 ばくはばかりとされていることも、どうか。ここばく、そこばくを万葉に連ねていわれているとあるが、「そきだく」と「こきばく」は連ねていわれているが、そこばくはどの古書にもない。「そこばく」「ここら」然り。

 さて、ここだくの罪というのは、大はらいの時に求めるに、先の類の罪を万民の犯したものが多くあることをいう。

 天の罪の條目がなおほかに多くあるという意味ではない。

 詳しくいうと、「云々ここだくの罪出でむ、それをば天の罪と宣(の)り分けて」という意で、出でむという言葉が省かれていること、国の罪のところに「出でむ」とあることで分かる。

○「天つ罪とのり分けて」
 考。
 天皇の宣命して、定められることをのりという。
 ※「神事、改元、大赦、立后、立坊、任大臣などの時の詔命を文に宣べ記したもの。一種の文体あり、上古の語を用いる。」「言海」参照。

 後。
 大はらいの時に、民たちの犯した罪を求め、多く出た中に先の類の罪を分け、これこれは、天の罪といって分けることをいう。

 記に、神代に空照らすの「某々はわが子なり、某々は汝が子なり」と分けられたことを、「のり分けたまう」とあると同じ。

 考に、天皇の云々とあるのは、ここでは意味が合わない。ここでは、ただ、このことを行う者が言って分ける意味で、すべての人に言い聞かせるのを、のるという。

 天の罪、国の罪と分けることは、実は一つで、違いはないことだが、かの進む男にはらいを負わせたことが、おはらいの起こりで、かの神が天(空の国、太陽)で犯した類の罪をこの国(地面の国、地球)でも天の罪と名付け、分けていっているのである。

 そのため、国の罪にはのり分けという言葉がないことを知っておくとよい。

 後世の本などに、国の罪に「宣(の)り分け」とあるのは誤り。
 
○「国の罪とは」
 考。
 空の下(地面の国)の国人の犯したものを分けていう。

 後。
 これは、この国でいう言葉で、天の罪は分けていい、国の罪は分けていわない理(ことわり)だが、天の罪を分けていうため、これに対して、そのほかの罪を、国の罪と広くいうのである。

 「とは」は、天の罪の方に「と」とのみ付け、天の罪を宣(の)り分け、国の罪というのは、これこれといっているものである。

○「生膚(いきはだ)断ち死膚(しにはだ)断ち」
 考。
 生きながらここかしこに疵(きず)をつけ、人を殺し、また死んだ人の体を傷(そこ)なうことも罪としている。先の生剥逆剥は、ここの言葉に対して、文をなすが、二つは別である。

 頭書。
 賊盗律、義解に云々ある。

 後。
 生ける人であれ、死屍(しにかばね)であれ、その膚(はだ)に疵をつくる穢れを罪とするのである。

 穢れが罪とされること次に詳しくいう。人の身を傷(そこ)なう悪行の方を罪とするのではなく、その疵を穢れとするのである。

 であるから、他(ひと)に疵をつくるのみならず、己が身に疵をつくるのも同じことである。また、人に疵をつける者も人につけられた者も共に穢れである。

 断ちとは、切ることをいう。今の世にも、いささかにでも疵をつくることを、手を切る、足を切るなどいう。必ずしも切り離つことのみではない。

○「しろびと、こくみ」
 考。
 白癜は、某氏の某人のことだという説によるべし。意味は、次の文に係る。

 和名抄に「白癜はしらはた。肉は、こくみ」とあり悪疾である。疾も罪から起こるよしなるためにここに挙げられている。

 後。
 しろびとは、和名抄に、「白癜は、人の顔、身首皮肉、色白に変わる云々者のこと。しらはだ。」とある。

 こくみは、同書に、「は、寄肉のこと。肉、和名あましし。こくみともいう。」とあるこれである。あまししとは、贅肉(あまりしし)である。その次に、挙げられた付贅懸疣なども同じ類。こうした類は、きたない物であるためにけがれとして罪とされる。

 紀某巻に、いざない君が飼部(うまかいべ)の目の縁の入墨(のまだ治っていない傷の血)の臭気(くさき)を悪(にく)まれたことを考えるとよい。

 はらいによって、しろびと、こくみの治るものではないが、はらいに使う物を出してはらうと、そのけがれが清まる。

 考の次の文に係るというのは、誤り。某儀式帳には、かれこれは、離れて列挙されている。

 云々された説も誤り多い。

 先の某帳に出ている川入(かわいり)、火焼(ほやけ)の罪も、けがれである。

 ある人は、これをも川いれ、火やきと読み、人を川に入れ、火に焼いて殺す、悪行のことと解したが、誤り。



○「己母(おのがはは)おかせる罪、己子(おのがこ)おかせる罪」
 考。
 上を奸し、下を奸すことをいう。

 後。
 記「足る中(二番目)の子」天皇、大はらいの箇所に、親子たわけとあるこれである。

 ただ母とはいわず、子といわず、二つ共に己(おのが)というのは、次の母と子と云々母子とは、同じではないことを表す。女性に婚(あう)ことをおかすというのは、皇国の言葉とも聞こえず、外国の書による言葉であり、ここにこうした表現をするのは、いかがかと一わたり思われるが、なおよく考えると、然らず。この五つのおかし共は、みな慎(つつし)み、すまじきわざであるのを、つつしまずおろそかにするものであり、もとよりおかすと表現されるべきことである。常にいわれる婦人にあうというのとは、心ばえ異なる。

 考。
 他人の母を奸し、またその子を奸すこと。

 後。
 まず、一人の女に娶(あ)い、またその女が先に他人に嫁(あ)い、生んだ女子のあるをも、後におかすこと。母とは、その女子に対していい、子とはその母に対していうもので、己母、己子ではない。

 その母であれ、子であれ、一方に娶(あ)うは、常なるを母と子と連ねて娶(あ)うことがおかしである。

○「子と母とおかせる罪」
 考。
 ある女子を奸し、またその女子の母を奸すこと。

 後。
 これは、考にいわれたるがごとし。

 前の文と先後の違いのみで、同じことをこう分けていっているのは、古文のさまである。

 儀式帳には、この二條は省かれている。

○「畜(けもの)おかせる罪」
 考。
 記に、馬、牛、鶏、犬各たわけの記述がある。ここでは、それらを省いての表現か。この罪一つでは、言葉足らずに聞こえる。禽(鳥のこと?)おかす罪などあったのが落ちたものか。

 後。
 和名抄に、「獣は、けもの」「畜は、けだもの」とあるのは、共に誤り。 

 紀では、畜はけもの、獣はけだものである。けだものは、毛の物の意味である。けものは、飼物(かいもの)の「かい」を縮めて「き」であるのを、「け」といったもの。毛物の意味ではない。

 紀にある六畜は、人の家に飼いおく物で、飼物(かいもの)という。

 このおかしも上代からあったのであろう。

 言葉足りない感じとあるが、一わたりはそうとも思われるが、前後の罪條必ずしも対あるとは限らない。禽おかしの表現も、畜に獣の意味も含まれている。

○「昆(はう)虫の災い」
 考。
 これは、犯罪の條であるから、害虫を使って災いをなす類をいう。次なる畜倒の上にいうべきを、ここにあるのは、文の乱れたものである。記紀、某詞にある虫の災いは、みな自ずからあることなので、この犯罪には入らない。

 後。
 虫は、這うものであるためにすべて虫をそういう。鳥を飛ぶ鳥、雨を降る雨、花を咲く花ということと同じ。

 これから三條は、災いを罪とされている。

 この虫の災いのことは、紀に昆虫の災異を禁厭(まじないやむ)ということあり、某詞にも這う虫の禍(わざわい)なく、十種の神宝の中に蛇のひれ、蜂のひれなどあるのも、それをはらうための物である。

 上代には、民の住む所は、野山にまじり、かりそめなる構えであったので、虫の害も多かった。

 大殿祭の祝詞にも挙げられていることを思うと、上代には、普段の生活でもただこの害の多かったことも考えられる。

 今の世でも、蝮(まむし)、蜈(?)、蜈(むかで)、蜂(はち)などに刺されて、悩むことある。

 考の説も誤り。もし虫を使い、人に災いをなすことならば、しかじかする罪との表現になるはず。

 そもそも世々の物知り人誰もみな罪の字になじみ、罪=ただ悪行とのみ心得るから、この罪の解釈に困るのである。文の乱れということも当たらない。けがれも災いも罪であることを理解すると、少しの疑いもなく、読み進める。

○「高つ神の災い」
 考。
 履中紀に、「風の声のように大空に呼ぶ声あり。いわく」云々とある。この箇所に当たる。

 頭書。
 舒明紀に「大きな星が東から西に流れた。雷に似た音あり。時人は流れ星の音だといった。僧の某いわく。「流れ星ではなく、天の狗(いぬ)だ。その吠える声が雷に似ている聞こえる」とある。これらが高つ鳥か。

 後。
 高(たか)=空をいう。記に、「高(たか)行く某鳥・隼(はやぶさ)」、万葉に、「高飛ぶ鳥」とは、空行く、空飛ぶという意味で、高くという意味ではない。

 高(たか=空)つ(の)神とは、雷のこと。世俗にいう天狗(てんのいぬ)にとられるなども、高つ神の災いという。空を飛び動くものだからである。

 この條も、これらの災いにあう罪とする。

 考に、紀のことを引用されてるのは、誤り。高つ神の災いとする由(よし)なし、云々。

○「高つ鳥の災い」
 考。
 祟神祭詞に、アマワカヒコ(空の若い者)、返り言(ごと)申さず、高つ鳥の災いで亡くなった、とあるこれで、自らの罪でこうなった。しかし、この類の怪は、それと定めてはいわれない。天武紀などに怪異により、大はらいした記録もある。

 後。
 高つ鳥は、先にいったごとく、空飛ぶ鳥をいう意味で、この災いは、大殿祭詞に、「天(あめ)の血垂(ちだ)り飛ぶ鳥の禍(わざわ)いなく」とあるこれで、血垂りは、応神天皇のみ歌に「ももちだる家庭(やにわ)」と詠まれた「ちだる」と同じで、記上巻には、「とだる」とある。上代人の家の屋根の竃所(かまど)の上の煙を出す所の名。その上を飛び渡る鳥が毒などある糞、毒(あ)しき物などをくわえ来て、竃の上に落とすことなどあり、その毒に当たる類が、高つ鳥の禍いか。

 血垂りのこと記十四に詳しい。参考にして、上代のさまを知るとよい。後世の心で、疑うことないように。

※古伝十四「血垂り」(とだる)。
 俗にいう台所の竃所(かまど)の上の煙の立ち上(のぼ)る所をいう。その構えは、上の代のはいかにあったかは、知りがたいが、試しにいうと、煙を外に出すために、竃所(かまど)の上の屋根をいささかばかり葺き残し、窓のように開けたところがあったものか。

 また、とだるの語源は、「富足る」であるか。その故は、まず、古代も今も人の家の富めることには、炊飯の煙の繁く立ち上る由をいい、貧しきことにはその煙の立たない由をいうこと、云々の記述などに例があり、炊飯の煙の繁く立つことを祝って、やがて富足るといいならわしたものか。飛ぶ鳥の災いとは、血垂りの所は屋根を葺き残して開けてあるために、空飛ぶ鳥の、あるいは、毒(あ)しき物であれ、何であれくい持ち来て、または、糞などであれ、竃の上に墜(お)としなどすることをいったものであろう。

 本文に戻る。
 
 考で引用されたアマワカヒコ(空の若い者)の箇所。高つ鳥の災いというが、かの類世には、かつてないことで、この罪條に挙げるべきものではない。

 高つ鳥というのも、後世には聞きなれないために、かの雉(きじ)名鳴きのことと誤解される。

 怪異なことが起きたために、大はらいが行われたことなど引用されているが、ここは、罪の條目であり、怪異の條目ではない。怪異は、罪により起こるとはいっても、その罪は罪、怪異は怪異であり、別。その起こりの罪を求めるはらいの條目に、その罪を挙げず、末の怪異を挙げるのは違う。

○「畜倒(けものたおし)」
 後。
 畜などの死ぬことを「たうる」という。「たうし」(たおし)は、斃令(たうし)で、殺すことをいう。これは、いかなるわざか定かではないが、思うに上代人の家に養(か)っている牛馬などをたちまちに斃(たお)れさせる術(すべ)などがあり、それを行うものか。それは、その主を、恨み憤ることなどあり、仇(あだ)なうしわざである。

 されば、これは、次のまじ物と同じ類の罪となる。

 神代巻に、「大国主と少彦名は、顕(うつ)しき蒼生(あおひとくさ)(人)と畜(けもの)のために、その病を療(なお)す方法を定めた。」ともあり、上代には、畜も重くみたのである。

 ある説に、魑魅魍魎の類、人家の畜をたちまちに病み斃れさせることがあり、土俗これを牛馬の疫神といった。これもそうでもあるかもしれないが、もしそうであれば、民家の災いであり、これまでの災いと趣が違う。

 これは、次のまじ物と同様に、人のなすわざであると考えられる。

 
○「まじ物せる罪」
 
 考。
 畜倒しと続けて考えるとよい。後世もある、狗神というまじ物である。筑紫、四国などに今(真淵の時代)もあるという。これは、皇朝にはなかった行ないで、外国から来たため、西南の諸国にはある。これもこの詞のいと上代にはなかった一つの証拠でもあるだろう。

 頭書。
 飢えた犬を繋いでおいて、食べ物を見せながら、食べさせず、切に欲する時にその首を斬れば、たちまちその首飛びてその食物をはむ、その首を急ぎ取り、器に入れて、祈るという。蛇を用いることもあるという。土佐では、いたち…。

 後。
 まじない物の意で、人をのろい詛(とこ)うためにかまえるわざである。中昔の書にこのまじわざのことおりおりある。これは、上代からあるという。他国の書にも多く見え、その方法も記されている。

 「せる」という言葉の加えられている理由は、ただまじ物とのみしては、人にまじ物されることも災いで、罪であるように誤解されるからである。

 畜(けもの)倒しとこれと同類にして、この二つは、さきの奸(たわけ)の類とは、罪のさま異なるために、中間に災いの類の罪を隔て、ここに挙げているのである。

 考に、畜倒(けものたお)しと一つにされている。私もそう思ったが、よく考えると、これは別物である。その理由は、罪の名を挙げるのに、そのやり方までを挙げたものではないと思われるからである。また、もしこのまじ物に係ることであれば、獣(けだもの)とあるはずで、畜(けもの)という表現からも別物と思われる。

 このわざを犬神のことといわれる、それらもまじ物の類の一つではあるが、必ずしもそれには、限らない。皇朝になかったといわれていることも然らず。

 この罪條のあるをこの祝詞が上代の文ではない証との説も当たらない。

○「ここだくの罪出でむ」
 考。
 自ずからもあらわれ、記にあるごとく求め出すもある。

 後。
 ここは、さきにもいったように、罪の條目の多いことをいうのではない。大はらいの時、国民のおかしたものが、多く出でるということである。出でむというのは、記に種々求められているように、大はらいを行おうとして、まず国人たちのおかした罪を探り求めるままに、多くの罪の現われ出でくるというのである。

 今の俗語に吟味すれば、段々出てくるという心ばえである。

 古代の人は、心素直で、身におかしある罪は、問われると、大体隠さず、表しいった。表し申し、おはらいに用いる物を出し、大はらいにあうと、その罪は、除き清められたのである。

 これは、上代のはらいの本当の趣きである。

 しかるをやや後になっては、おかしの有り無しを問うことはなくう、ただ、みなにはらえつ物を出させ、その中におかしある者も、それにて清められた。そうして、後に至っては、そうおはらいに用いる物を各々出すことも、止(や)み、ただその真似びの型ばかりになったのである。

 先の国つ罪の條々、中昔からこれまで、世々の物知り人たちは、いにしえの心言葉を理解しないために、解釈の誤り多く、わきまえておくべきこと種々ある。

 まず、「つみ」というのは、「つつみ」の縮まった言葉で、もと「つつむ」という用言(動詞)である。つつむとは、何事であれ、わるいことのあるをいうのに、体言(名詞)にして、つつみともつみともいう。されば、つみというのは、もと人の悪行(あしきわざ)のみには限らず、病もろもろの禍(わざわ)い、また、穢(きたな)きこと、醜きことなど、そのほかも、すべて世に人のわるいこととして、にくみ嫌うことは、みなつみである。

 万葉の歌に、人の身のうえに、諸々のわるきことのないことを、つつみなく、つつむことなく、つつまはずともいうのは、今の世の俗言に、無事にて、無難にてという意で、つみなくということである。

 中昔の物語などに、人の形、また心ばえなどのわるいところのないことをつみなしといい、よろずのことが、わるいながらも、そのまま許されることをつみゆるさるるといわれることも、悪行ではないことをつみというのは、古意の残っているのである。

 してほしいこと、いってほしいことを、憚(はばか)りできない、いえないことをつつむとも、つつしむともいう。これも、そうすればわるく、いえばわるいこととして、つつみ憚るもので、もと同じ意味である。

 ただし、これは、移った末の意味で、もとは、わるいことのあることをいう。つつみはばかるをもとの意味として、つつみはばかるべきことであるために、わるいこともつつみというと心得ることは、本末違う。

 このように、つみは悪行のみに限らないが、罪の字は、悪行一つについて、充てた字で、つみという言葉のすべての意味には当たらない。

 罪を悪行とのみ限定しているので、誤解が多くなるのである。

 世に人のわるいこととして、にくいという類はみなつみといった。

 これに挙げられた條々にも、穢れ、奸(たわけ)、災い、悪行と種々のつみがあり、その中に穢れ、災いなどはおのずからあることで、故意におかす罪ではないが、世ににくみきらうわるいことであれば、これらもつみである。

 この国の罪、生膚断からこくみまでは、穢れを罪とする。己母から五つは、奸(たわけ)、昆虫の災いから三つは、災いに遭うをことを罪とする。末二つは、悪行である。

 このように四種ある中に、はらいの要は、悪行を主とせず、穢れを第一の罪としている。神祈令に、云々(略)とあることから考えるべし。

 その(略)の中、多くは、穢れで、悪行は一つもない。穢悪に預かることの注に、はらいの詞にいわれる、天つ罪国つ罪の類は、みな神の穢れとするところ、悪(にく)むところとあり、これにて、穢れの罪を主(むね)とすることを知るとよい。

 また、こう穢れを罪とすることになずらえ、おのずからある災いも、また罪であることをもさとるとよい。奸(たわけ)の類を下なる畜倒し、まじ物と続けては、挙げず中に災いの類を隔てて別に挙げられていることを思うと、これは、ひたすら悪行の方を取るのではなく、別に故あって、はらい清めるべき罪ということではあるまいか。もしくは、これも穢れとなるにはあらざるか。

 そもそも悪行の罪を挙げるには、なお、ほかに重き罪は数多あるが、わずか十條余りの中に、奸(たわけ)の類を五つ、記の仲哀の段にもある、国つ罪五つを挙げているのは、みな奸(たわけ)の類で、ほかの罪ははない。
 また、奸(たわけ)でも人の妻をおかすなどは、殊に重き罪であるのに、かれにもこれにも、それが挙げられていないことを思うと、あれこれと悪行を取り上げたものではないのか。また、畜倒、まじ物は、まさしく悪行を取り上げているようだが、これは別に故あるものか。

 人を傷(そこ)なう罪は、そのほかにも種々重いものあるが、殊にその二つを挙げていることも何らかの理由があるものか。

 されば、はらいに挙げる罪の條目は、後の世の心で、不注意にただ悪行とのみ心得ては、間違いのもととなる。

 そうしたことから、よくよく考えると、まず上代に、諸々の罪を治めるに、刑とはらいとあり、刑(つみな)うべき罪と、はらいを負わせるべき罪との区別があったものか。その区別は、あるいは、重きは刑、軽きは、はらいであったかと思われることもあり、その重く刑(つみな)うべきをやわらげ、重きはらいを負わせたと思われるものもある。

 また、軽き重きに関わらず、罪の種類により、あるいは刑(つみな)い、あるいは、はらいを負わせたと思われるものもある。

 また、神事(かみわざ)に関わる罪は、重きにもはらいを負わせ、神事ではないが、神の祟りなどによっても、その罪を、はらい負わせたものなどある。

 これらのこと、歴史にある上代の跡などを、考えわたして知るべきである。

 しかれば、この大はらいに挙げられた條目は、諸の罪の中で、刑(つみな)うべき罪ではなく、必ずはらい清める罪のことどもではあるまいか。

 しかるにやや世の下るままに、刑の方が繁くなり、はらいを負わせることは、しだいに少なくなり、中昔に至っては、はらいの法は、ただ、神事に預かれることにのみ用いられ、またいよいよ世くだりては、その神事さえ、はらいを負わせる方は絶えたものである。

 古文の常として、すべて何事であれ、挙げるべきことは、数多くあるをも、ことごとくは、挙げず、ただその中の一つ二つを摘(つ)み出で挙げ、ほかのこともそれに込めていること多い。

 祈年祭詞に、民の田をつくることをいう箇所に、「手肱(たなひじ)に水書(みなか)き垂(た)れ、向股(むかもも)に泥書(ひじか)き寄せて」とのみの表現で、春から秋稲を取り収めるまでのくさぐさのわざを、これに込めているが、すべてこの類の表現である。

 しかれば、大はらいには、はらい清めるべき罪もなお数多く、種々あるべき中に、これには、ただ、十條あまりを挙げ、あとはこの内に込められいるものである。

 必ずこれらに限られると思うのは、古文の例を知らないのである。

 ただし、中昔には、このはらいの詞に出た條々の罪を主(むね)として、神事には忌(い)みたのである。

 大神宮儀式帳に、「また、はらいの法(のり)定めたまいき、天つ罪と始まりし罪は、敷蒔き、畦放ち、云々、ここだくの罪を天つ罪と告(の)り分け、国つ罪とはじまりし罪は、生膚断ち、死膚断ち云々(大はらいの條目+川入り、火焼け)の罪を国つ罪と定めたまいて、おかし過(あやま)てる人に種々(くさぐさ)のはらえつ物を出ださせ令(し)め、はらい清めよと定めたまいき」とある。

 「天つ罪とはじまりし罪」とは、天(空の国)で、進む男のおかしはじめたことをいう。これに対して、国つ罪とはじまりし罪といわれているのは、皇み孫(子孫)のみことのこの地に降り立たれ、初めて大はらいのあったときに、この條々の罪の名が出でたものであろう。

 後々まで、そのときの條目によって、これを挙げていったために「はじまりし罪」といったものであろう。心を付くべきことである。

 儀式帳は、延暦に出来た古き書である。

 つづく

 この「大祓詞後釈」は、上下巻もので、付録に「つけそえぶみ」という一文がある。今回の更新分で上巻分は終了。

 罪の名などダークな話で、暗い気持ちになる箇所である。救われないような話の後、日本の神々のご登場という構成である。読んだ後、晴れ晴れとした気分になれればいいなと思っている。

 一気に読んだので、後になるほど、例によって、推敲していない。ご勘弁。

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2009年08月16日

本日の更新

 一ト月経つのが早い。
 祝詞本文に入った。縁起がいいというか、おめでたい文なので、早く訳し終えたい。やりたいことが多すぎて、結局は、無為に過ごしてしまっている不充実感にさいなまれている今日この頃だ。

 「あしたのジョー」ではないが、あしたのために、今できることを少しづつやるほかない。分かっているつもりだが…。

 理性の眠りから、邪念にとらわれるというゴヤの版画があるが、心は、放っておくと、わるい思考に引き込まれやすいらしい。

 何か、ぼやきになる。これもわるい癖だ。

 今回、本文に、自然の恩恵を忘れている旨の宣長の発言がある。

 観ていないが、ある作家の映画で、能舞台を見立てた舞台上の背景に「至誠」と大書された書が掲げられている。

 「おごそか」や「まごころ」とは、とか考える。

 やりたいことが、思うほど、進まない。

 家元の落語も聴かなきゃいけないし。

 まあ、ぼちぼち歩むほかないのだ。
  
posted by 青田猫三齋 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その四

○「高天原(たかまのはら)に神留(かむつまり)ます」
 
 某詞の考にいう。
 
 「神留」をある説に、「空の下の国(地面の国、地球)に降り立ちまさず、空の国の宮殿に留まりいて、空の国を治められること」をいうとある。

 今、考えると、地面の国に降り立たれないことを、「空の国に留まっていらっしゃる」という表現は、雅言と思われない。(すなわち、とどまりいるとは読まない。)

 続日本紀に、「神積」(かんつまり)とあり、そう読むのがよい。

 この「積」は、「あ」を省いた借字で、「あつまり」の意味である。

 高むすび、神むすびから、空照らすまで、多くの皇祖たちの集まり、ことを定められるということである。

 「神」というのは、崇(あが)めている言葉である。

 上声に「かむ」と唱える。万葉に「かむさびいます」などある。

 同序にいう。

 神留(かむつまり)、神集( 〃 )などは、そのことを尊(かしこ)みて、神云々という時は、「かむ」とはねて唱える。云々神という時は、そのまま「かみ」という。

 後釈。

 高天原のことは、古伝にいった。

 ※古伝から。
  高天原は、=天のこと。(「天皇の京をいう」との説があるが、誤り。この世(空間)の上の方に、高天原(太陽)がある。)

 「天」と「高天原」との違いは何か。

 まず、「天」は、天の神がいらっしゃる国であるため、山川木草の類、宮殿など万(よろず)の事物は、すべてこのみ孫(ま)の治める地面の国(地球)のごとくであり、なおすぐれた所である。大体のありさまも、神たち、よろずの事物も、この国(地球)にあるようなさまである。(記や書紀の神代巻に詳しい。「のりなが」では、太陽の内側に地球のような世界があるというイメージであった。)

 「高天の原」というのは、その天であることを語るときの言い方である。ここの「高」とは、=天であり、ただ「高い」という意味ではない。「原」は、広く平らな所をいう。海原、野原、河原、葦原などと同じ。これに「高」の字を添えていうのは、この地面の国での表現。空照らす、紀の進む男の云々の箇所にある「天原」は、天にいて、おっしゃった表現。

 後釈に戻る。

 「留」は、考にいわれるように、「づまり」と読む。

 さて、「つまる」は、「とどまる」である。今の俗言に、物の留まり行き通らないことを、「つまる」というのも、「とどまる」意味である。

 万葉五に「海原(うなばら)の辺(へ)にも沖(おき、奥)にも、神づまり、うしはきいますもろもろの大み神たち」とあるのは、その時の航路の海辺、奥にある島々などに、鎮(しず)まりいます神たちをいい、(神たちが、)鎮まりいますことを「神づまり」という。

 すべて、神の鎮まりいますというのは、その所に留まりいますという意味である。古伝十一に詳しい。

 神祈官にいらっしゃる八座の中の玉留魂(たまつめむすび)という神の名を「たまるむすび」と読むのは、誤り。

 「たまつめむすび」で、「つめ」は「とどめ」である。うかれゆく魂(たま)を留(とど)めたまう霊(みたま)、神である。

 神名帳にも、玉積産霊(たまつめむすび)とあり、「たまり」と読むことの誤りが知られる。

 また、この神名から、「神留」は、=留まる意味であることも理解するとよい。

 さて、「留」(つまり)という理由(よし)は、皇(すめ)み孫(ま)の、高天原(空の国、太陽)を離れ、この国(地面の国、地球)に降り立たれたのに対し、降り立たれていらっしゃらない神を留まりいますというのである。

 世間に、旅路に出で立ち行く人の、その国の人を指して、国に留まれる人ということと同じ心ばえ(感じ)である。

 そうすると、この言葉は、御孫(みま)のみことの空の国から降り立たれる頃にいった言葉の今に伝わっているものである。

 神(かむ)とは、神集(かむつどい)、神議(かむはかり)などの類で、すべて神の御(身の)上(うえ)のことにいう言葉である。

 古代、すべて「かむ」の「む」は、確かに発音した。「かん」と唱えるのは、音便にくずれた後の言葉で、正しくない。

 「ん」とはねて発音することは、上代にはなかった。

 また、神を「かむ」というのは、稲を「いな」某(なに)、船を「ふな」某(なに)という類で、上にある時に音の変わる格である。

 考に、地面の国に降り立たれないことを、空の国に留まりますというのは、雅言と思われないとあるのは、よく分からない。こうしたことに雅言、不雅言があるとは、思われない。

 既に御孫のこの国に降り立たれ、後からいう言葉で、ほかに表現しようがない。

 また、「つまる」を「集まる」こととされているのも誤り。

 神たちの集まることは、神(かむ)つどいというのが、古語の例である。

 神(かむ)集まりとは、未だ聞かない。

 もし、集まられることならば、「かむろぎかむろみの高天原に神留(かむつ)まります」と表現されるべきである。

 その上、「高天の原(空の国)に集まりいます」とすれば、高天の原ではない所から来て集まりいますということになる。

 天高市、天の安の河などとあれば、集まるともいえるが。

 また、この神つまりには、みな留(正字)、積(仮字)とのみ書き、集の字とは書いた例はない。

 もし、集まるの意味であるとすれば、留の字は用いないはずである。
 
 また、玉留産霊(たまつめむすび)もとどむる意味にしか聞こえない。魂(たま)を集めるとはいわない。

 つめ・とめ、つまり・とまりは、通音で同言である。

 ※という訳で、「空の国に留(とど)まり(鎮まり)いらっしゃる」という意味。

○「皇(すめら)が親(むつ)かむろぎ・かむろみの命(みこと)以(も)ちて」

 考にいう。

 この命は、「みことのり」をいう。某の考にいわく、皇(すめ)は
、統(すべ)ということで、天、皇大御神国(日本列島?)を統(す)べ治められるのを皇大君という。尊言である。

 睦(むつ)は、天皇の皇祖神(ご先祖)たちであるから、親しみを込めての表現。

 かむろぎは、かむすべらおぎみ。

 かむろみは、かむすべらめぎみ。

 皇祖の男女の神たちである。いざなぎ、いざなみも、男君(おぎみ)、女君(めぎみ)の言葉の省略これに同じ。

 出雲云々に、「高天原の神王(かむろぎ)云々」とある。その神王は、始めの祖のみをいっている、ほかののりと言には、高むすび、神むすびから始め、いざないの男女君、空照らすまですべてをいっているのが多い。

 ゆえに、男女の皇祖神をいう。

 同頭書にいう。

 「すめ」は、すめらの省略形。発音にごってすべらともいう。

  意味は、天でも国でも、すめる御主ということ。

 後釈。

 皇は、すめらがと読む。親(むつ)は、むつ何々と下に属(つ)く言葉。

 某に「すめらわがむつかむろぎ、かむろみ」、某に「むつかむろぎ」云々とある。

 すめというのは、神を尊(かしこ)みていずれの神にも皇(すめ)神と表現することを考えると、もとは、ただ尊(かしこ)む言葉であったといえる。それを、みな統(すべ)る意味と理解し、先生も国を治める意味といわれたが、よく考えると統べる(治める)意味には、聞こえない。

 ただ、尊(とうと)む言葉で、意味はまた別である。

 また、すべらと読むことや、頭書にいわれたことも誤り。

 また、神ろぎは、神すめら君。神ろみは、神すめら女君と説かれていることもいかがか。

 男女の皇祖神とあるのは、然りである。

 命(みこと)の字、某には、み命(こと)と書かれている。命以(みこともちて)とは、詔命(お言葉)を以って、仰(おお)せつけられる意味。この言葉は、下の「事よさしまつりき)」にかかる。


○「八百万の神たちをかむ集(つど)えに集えたまい。かむ議(はか)りに議(はか)りたまいて」

 考にいう。

 古事記に、集をつどいと読むとある。用言でつどえとも読む。

 後釈。

 つどいとつどえは、自他の違いがある。古事記の注は、八百万人の神たち自ら集(つど)われた箇所である。

 集(つど)えは、「集(つど)わ令(せ」の省略。他を集わせること。ここでは、こちら。また、つどいも用言で、考でいわれた体用は関係ない。

○「わがすめみまのみことは」

 後釈。

 わがは、皇祖神たちご自身である。

 すめみまのみことは、「ににぎのみこと」(熟した稲穂)をいう。以後、代々の天皇のこともこういう。

○「豊葦原の水穂の国を安国と平らけくしろしめせと事(こと)依(よ)さしまつりき」

 考。
 
 ことは、言である。よさしは言い寄せ授(さず)けること。

 後釈。

 豊葦原、水穂の国は、古伝にいった。

 ※葦原は、天の神(空照らすたち)の代に高天原から、この地面の国を指していった呼び名。豊の字を添えてあるのは、始めてお子に事を依(よ)させた詔(命令)であるから、こと祝(ほ)ぎて豊と付けた。また、豊は、葦でなく、国に係る祝辞(ほぎこと)。

 ※水穂は、水は借字で、みずみずしいことをいう。穂は、稲穂である。上に葦原とついても、葦の穂ではない。(もともと皇み国は、万の事物も、異国にまされる中にも、稲は、殊に、今に至るまで万の国にすぐれてめでたいのは、神代の頃から深い所由(ゆえ)あることである。今の世の諸人、かかるめでたき国に生まれ、かかるめでたい稲穂を、朝暮(あけくれ)に賜りながら、皇神の恩頼(みたま)を思いまつらず、よしなき他国のことをのみ思い扱うは、どうしてか。)

 安国は、神武紀に浦安国とあるように、ただ安き(安らかな)国と理解されてもいるが、若干違う。

 安見(やすみ)したまう国(安らかに治める国)ということで、安見ししわが天皇(おおきみ)と歌にもいわれるこれである。八隅知は、後の当て字。

 事依は、ごとく寄さすである。もし、言であれば、御言(みこと)と御を添えていうはずだからである。

○「かくよさしまつりし国中(くぬち)に」
 
 後釈。

 この祝詞にいう国中(くぬち)には二つある。

 一つは、俗言にもある国中という意味。ここは、この意味。今一つは、四方の国中(くぬち)などという表現。それは、四方の国の中央(まなか)の意味である。

○「荒ぶる神どもをば」

 考。
 
 荒びいちはやびて、悪い神たちである。「ぶる」は、略して、「び」ともいい、そのありさまをいう。

 後釈。

 略して「び」のもとは、「ぶり」のこと。しかし、この言葉は、あらび、あらぶ、あらぶるとは活用するが、あらぶりとは、変化しない。

○「神(かむ)問わしに問わしたまい」

 考。
 
 問をと問わしというのは、問わ(令)しめを縮めたもので、あがめ辞(ことば)である。

 後。

 問を問わしというのは、延ばし言葉で、古言(ふるごと)の常である。すべてかく延ばしていうのは、もとは、必ずしもあがめ言ではない。まずしき者のうえのことにも多くいう例ある。

 しかしながら、おのずとあがめるニュアンスも出て来る。

 問わ令(し)めの省略形とあるのは、誤り。後世、記録文などに、あがめて、問わしめたまう、行かしめたまうとあるのは、もと仮字文には、問わせたまう、行かせたまうとあったのを、真字にこう書いたのである。

 問わせたまう、行かせたまうは、古代の延べ言の問わしたまう、行かせたまうの移ったもので、令(し)めの意味はない。

※ここは、意味的には、単に、「(神が)問われた」ということか。

 
○「神(かむ)はらいにはらいたまいて」

 考。
 
 この事どものすべてのことは、神代紀にある。

 フツヌシ、タケミカヅチを、地面の国に降り立たせ、大きい名持ちに問わせた。
 
 「天(空の国)の神のお言葉に、高むすびが、子孫(みま)を降り立たせ、この国を治めさせようと思い、まず、われら二人を遣わして、はらい平定(むけ)させた。汝の意(考え)いかに。この地を去るか。」

 とあるこれである。かくして、大名持ち、事のしるし、この国を子孫(みま)に返した。

 遣わされた二人は、地面の国の荒らぶる悪い神を、ことごとくはらい、平らげ、空の国に戻られたという。

 地面の国は、はじめ、皇祖神の命令により、いざないの男女が、お生みになった。

 日の神(元は、いざない君の管轄、現空照らす)、月の神(いざない女君)は、空の国にいらっしゃる。

 地面の国は、進む男の治めるべき国であったが、皇祖の命に背き、地の底の国に追い逐(や)られた。

 これにより、子孫(みま)に任せられたのである。

 かかれば、この国は、皇孫(みま)のお治めになるべき理(ことわり)である。

 後釈。

 「に」の字、もとはないが、考に従う。

 上の神問わしにの箇所に「に」の字あるからである。

 「神はらい云々」は、荒ぶる神に係る。神問云々は、旨と名持ちに係る。

 しかれば、「しかじかの神をば神問わしに云々」、「荒ぶる神どもをば神はらい云々」と分けていうべきだが、ただ、荒ぶる神たちとのみあるのは、大名持ちも荒びたまえるように聞こえ、いかがかと思うが、語を省いてこういう表現もあるかとも思う。

 また、思うに、ここに荒ぶる神といわれているのは、紀にいう、残賊凶暴横悪の神の類のみに限らず、すべて、天(空の国)の神にまつろい依り来ずして、疎々(うとうと)しき神を広くいったものか。

 大名持ちもいまだ天の神に帰順(まつろ)わざりしほどなれば、こかいうか。

 考頭書。
 万葉人まろ歌に、ちはやぶる人を和(やわ)すと、まつろわぬ国を払うと読める。

 かく古歌に神代のふるごとを読める。すべて意味等しい。しかれば、いといと上代には、いい伝えしことの等しかりしを、記紀に書いたのである。

つづく

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2009年07月19日

「本日の更新」

 怒涛の忙しさで、かけられる時間が多くはなかったが、本文直前までは読むことができた。

 これから「たかまがはらに」の件(くだり)に入るところ。

 退屈な箇所もあるが、できるだけ、省略したつもりである。

 ドラゴンボールでいえば、神龍(しぇんろん)が出てくるような話になればと思う。現実的しぇんろんというか、リアルしぇんろんというか。

 古代の人が、祈るとき、神の姿をどう捉えていたか。そうしたことが分かるのではと一人期待しているところである。

  
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「その三」

考にいう。
 この大はらい詞は、某から某時代の頃に書かれたことは、既に(どこかで)いった。

 これを神代の言葉だとして、空の国の固く閉ざされた戸の前で、アメノコヤネが唱えた神語だ、橿原(視界一面の樫林の中に建てられた)宮殿の時代に何が作った文だというのは、誤りである。

 続日本紀の記述から、この詞=神語で、神が語った言葉という人もあるが、これも誤り。

 ただ、神のことを綴った文を神語といったものである。

 万葉十九にある「神言」も、祝部(ほうり)が、作った文をいったもので、神の命令によるために、こういったのである。

 神代のことを書かれた文を神書といい、これもまた神が書いたという意味ではない。

 考の序文にいう。

 出雲の神賀の詞は、某の時代のもので、表現は、云々。

 この大はらいの詞は、某時代のもので、その表現は、云々。

 次に、某は、某時代で、表現は云々。云々。

 時代を下るに従い文章は、よくなくなった。

 後釈。

 今、この考の論をよくよく考えると、祝詞式にあるもろもろの祝詞の文は、おのおの優り劣りあり、古いもの、後の(作である)ものの違いがある。

 その中で、出雲の神賀詞、大はらい詞を古いものと指摘してあることは、そのとおりで、先生でなければ、古代の文を見分けられなかっただろうと、いと尊く思う。

 しかし、「これは、かれより劣り、それは、これより後のものである」など、一つごとに評されていることは信じ難い。

 すべて、古代のことは、そう細かくはっきりと見分けられるものではない。

 出雲神賀詞、大はらい詞の評も信じ難い。

 今よく味わい見ると、その書かれたさまによって、評のように聞こえはするが、それは、作られた時代によるものではなく、書いた人のたくみによるものでもない。

 次に云々、時代に従い、よくなくなったということも、よく分からない。

 かの祝詞どものほかにもなお古くめでたく見える文はある。

 祝詞のはじめを考えると、上代には、最初から、それと決めて、綴ったものはなかったはずで、時に臨み、その趣きで、それを申す人のいかにもふさわしいさまに申し、年々定められたこと、その趣きも同じで、申す言葉ももともとの例により、大体いつも同じさまで、おのずと定まってきた。

 それを書き記して、それと用いられるようになったのがいつの頃からかは、定かには知り難い。

 もろもろの祭の中での祝詞は、大体は、いと上代から申しならったままで、いといと古く、その綴り方、言い方など、少しづつは、時代とともに変わってきた。

 後に加わりもし、省かれもし、変わりもしたことなども少しは混ざっていると思われる。

 今「式」に載っているように定まったのは、大宝令の頃か、天智天武の時代などから定められたものもあるかもしれないが、確かなことは、言い難い。

 また、後に始まった祭や、古くからの祭でも、その祝詞は、古代のものではなく、やや後に作られたと思われるものがあり、作りざまつたなく、ととのわないことがあっても、なお古い例にならった古い詞が混ざっていることもある。

 すべて、古い祝詞は、物語の序文、某の文章のように、その時代にその人が作ったと言い得るものではない。

 その大方は、次々例により、申しならえる詞によって、綴られたものだからである。

 この大はらい詞も、大体、いと上代の詞で、中には、皇御孫の空の国から降り立たれた時代の頃から、伝えられたままと思われる箇所も多くあり、大津清御原藤原などの時代にやや加わったものと思われる言葉も混ざっている。

 後の詞の稀に混ざっているのを捉えて、すべてをその時代に作られたとするのは、いと当たらないことである。

 考にいう。

 この詞に、某の(写)本と、某の(写)本とがある。
 
 古言(ふるごと)のみな失われた時代以降のその(写)本に、初めの宣(のり)が載っていない。諸社にては仕方ないながら、伊勢神宮では、言葉を少し変えられたものが載っている。

 また、「みこと」の表記に「尊」とあるが、これは、某に改められたさかしらなもので、それ以前のこの詞に書かれたはずはない。

 また、「を」の表記に「於」とあるが、こうした例は古書にはない。

 また、馬をおはらいに用いるのは、馬は耳の獣(毛物)で、耳鋭(と)きものであるために、その申す言葉を神たちの速くにお聞きになる意味に由来する。

 これは、出雲神賀詞に馬を挙げ、「耳の弥高(いやたか)に云々」とあることや、某の時代から、おはらいに必ず馬がお供えされてきたことからも分かる。

 それを、馬でなく、「某鹿の八つの耳を振り立て云々」というのは、何であるか。鹿は角の獣でこそあれ、耳をいうべき理由はない。

 他にも、読みの誤り、言葉の清濁など、誤りも多いので、「祝詞考」で改めた。

 「式」に載るもとは、大体古代のままで、特に公のものなので、必ずこれによるべきである。ただし、後に書き誤りと思われる箇所は、他の多くの祝詞の例、古き書物、古き言葉などを照らして正しくした。

 後釈。
 すべて祝詞の類は、神に申す詞であるので、努めてその詞をうるわしくすべきものである。

 古き祝詞は、いずれもはなはだしく文(あや)をなして、めでたくうるわしく綴られている。

 それは、なぜかというと、大方、人も神も、同じく申すことでも、その言葉の美麗(うるわし)きに愛(め)でては、受ける方の心にも格別であるからである。

 よい歌に神の愛でたまうのも、言葉のうるわしいことによってである。

 されば、情(こころ)はいかに深くても、まずい歌には、愛でたまうことない。

 後の世の人は、ただ理(ことわり)をのみ思い、神に申すことも、詞を選ぶものとも思い足らず、なおざりにしてしまう。

 「空照らす」が、空の国で、戸を固く閉めて、隠(こも)られた時、もろもろの神たちが云々して、中執臣たちの祖先アメノコヤネが、広く厚く称辞(たたえごと)して、お祈りしたこの時、日の神それを聞いて、「この頃人多(さわ)に請(もう)せども、このように言葉のうるわしきは聞いたことがない」といい、固く閉めた戸を細めに開け、外を窺った」とあることを思うとよい。

 これは、申す言葉のうるわしきに感賞(めで)たもうたものである。

 自ら新たに綴って申す言葉のみならず、古代の祝詞を読み申すときも、古代の言葉を誤ることなく、努めて読みを正しくし、後の音便のくずれた言葉などをまじえず、清み濁りなども、厳かに守り、ゆめゆめなおざりに読むべきではない。

 しかるに、この大はらい詞、もろもろの祝詞は、先生の「祝詞考」の読みは、こよなく宜いが、なおまずいことも多く、この「後釈」でみな改める。
 
 今(宣長の時代)のかれこれある祝詞の本は、考に言われるようにあれこれ誤り多い。

 そもそも大はらいは、公の儀式で、この祝詞も公ざまで、個人のおはらいには、合わない箇所もあって、個人向けに改められたりしている。

 個人に合わない箇所があっても、そのまま読む方が、さかしらに改めるよりは、もとのままに読む方が、まさっているのではあるまいか。

 考に、初めの宣のないのは、諸社では、仕方ないとしても、伊勢神宮で云々といわれているのは、分からない。これは、祭の祝詞ではなく、はらいの祝詞であるので、諸社、大神宮の別はないはずである。

 「みこと」に「尊」の字を書くことは、古代はなかったであろうが、既に書紀には、書かれていて、後の人がそれによったのは、何か理由があるのであろう。

 「尊」の字などは、何のそこないもないが、祝詞の(写)本などは、多く言葉をさえ替えられていて、この「尊」の字を一つを特別咎める場合ではない。

 考の頭書にいう。
 
 某の時代から、古意みなうせて、文はもちろん、歌なども云々。また、その頃から、事好む者出てきて、旧事紀など、そのほかも偽書を作り、世の人を惑わせた。古書の言葉などを改めたのもこの頃である。

 また、いう。古事記には、「みこと」は「命」と書いた。日本紀に、「命」「尊」と分けて書かれていて、こうして種々の字を用いて目印とするのは、外国風である。

 皇朝のいにしえは、字は仮のもので、言葉をこそもととした。また、古書は、仮字すべて厳にして、違(たが)えることはなかった。後のものは、違い多い。

 されば、古い仮字を手本として、書の真偽をも知るべく、古言をも、解き分けるべきである。

 また、いう。某社に、鹿を神の御(み)乗物というのは、「縁起」という物の説である。この縁起にいえるも、奈良時代のことで、それより時代の古い世の文に入るはずはない。

 古い歌に、某山で鹿の鳴くことは、読まれているが、特に多いとも聞かない。「さを鹿の八つの御耳」という表現も古言のさまではない。

 後の世の言葉であるのを聞き分ける人の世にないのは、どうしたものか。

 考にいう。
 おはらいは、地をも家をも人の身をも清めるわざであるのを、世人の仏に向かって、そのお経というものを読むように心得て、神の御前に向かい、その詞を唱えるのは、なぜか。

 また、読む回数も、公の大はらいにも、ただ一度であるのを後世に、数多度重ねて読むのは、これも仏のお経を読むのにならったものか。

 また、読み方も、古代の読み方を尋ねず、ただみだりに読む。 

 また、江次第などに、はらいの方法としてある中には、後の陰陽家、ト部などの行いと思われること多い。

 また、もろもろの社の祝部など、この詞を誤解して、それに種々(くさぐさ)つけた行いをすることがあることを、知っておくべし。

 後釈。
 すべて近い世に神道者というものの行いを見ると、法師の仏を拝む行いを、羨みならって、行うことのみ多い。

 その中に、この大はらいを読むことも、かの仏の経陀羅尼などを読むことにならって、あるいは、神の御前に向かって読み、あるいは、数百遍も読み、あるいは、五千度、一万度のはらいなどということあり、これを読むのをはらい修行といい、またこの詞を常に中臣はらいと称することから、はらい=この詞と心得、それにならって、ほかにも某のはらい、某のはらいといって読む文が、世にかれこれあるのは、みなはらいということのさまをわきまえない、後の世の人の作ったもので、ただ例の外国風のことをのみいい、古代の意詞(こころことば)にあらず。おはらいには、特に由(よし)なきことばかりである。

 また、先にいったように、ただにこの詞をおはらいと心得、これを読むことをはらい修行とすることは、誤りである。

 この詞は、はらいのわざを行い、その由(よし)を神に申す詞であるのに、そのはらいのわざをせずに、この詞をのみ読むのは、はらいをせずに、する由(よし)だけをいっていることになり、神を欺き奉るに似て、この詞がいかにめでたいものであっても、ただ、読むばかりでは、罪穢(つみけがれ)の清まること、心もとない。

 この詞は、はらいではない。はらいの祝詞(言葉)である。

 また、これを読むことも、はらいではない。はらいは、はらいのわざをして、その時にこの詞は読むものであると心得るべきである。
 
 そうではあっても、以上のごとく、心得誤りも久しいことで、世にあまねく読むならいとなっているのであれば、今これを読むことをわるいと咎めるものではない。

 はらいとはらい詞(ことば)との区別を、心得わきまえたうえで読むことは、世のならいにしたがうのも、わるいことではない。


○「集侍(うこなわれる)親王(みこ)たち、諸王(おおきみ)たち、諸臣(おみ)たち、百(もも)の官(つかさ)の人たち、もろもろ聞こし召せと宣(の)る。」

 考の祈念祭の箇所にいう。

 儀式(本の名)に「参集」の読みを「まいうごなわれる」とあり、これを、考えると「集侍」は、「うこなわりはべる」と読む。

 「うごなわり」は、「うづくまり」という言葉の「つ」を省き、「く」を「ご」に移したもの。
 
 「なわり」は、「そなわり」、「きよまわり」などの「まわり」の類で、延という辞である。

 「はべる」は、「さぶらう」と同じく、共に「侍」の字を用いる。そうすると、これは、諸国の神主祝部たちが、神祈官の庭で、恐(かし)こみ、敬い、蹲(うずくま)っているさまをいう。

 されば、「集」の字は、ただ「集うこと」で、「うごなわり」という古代の言葉に、後から充てたものなので、本来の意味に合っていない。

 後釈。

 「集侍」の字は、先に引用された箇所から、「うこなわれる」と読む。

 「こ」の清濁は、よく分からない。いずれの言葉も、清濁の詳しく分かっていないものは、すべて清(す)みて読むべきである。

 古言には、濁音は、少ないからである。

 「うこなわれる」は、この「集侍」の字の意味の古言と聞こえる。

 考に、うこなわれる=うずくまるといわれているのは、誤り。省き移しも、そうである。

 もともと、かの祈年祭などの祝詞は、諸社の神主祝部たちに読み聞かせるもので、「うずくまり」といえるにしても、この大はらい詞は、親王大臣なども集うもので、それを指して、中執臣の言葉に「うずくまりはべる」とはいえまい。

 また、「うづくまる」とは、その状態(さま)をいう言葉で、こうした所にそのさまをいう必要はない。

 「集」の字は、意味が合わないといわれているが、これも当たらない。

 「侍」を「はべる」と読むのも、これは、後世の音便である。

 「侍」は、匍在(はへる)ということで、読みももとは、「はへる」という。

 なお、「侍」(はへる)のことは、 記伝十四に詳しい。

 ここの「侍」の字は、特に読まない。

 親王云々、すべてかくさまに連ねて挙げること、古代には、「臣連国造伴造百八十部」などと記した。

 「諸王諸臣」とつらねていうことは、紀の推古巻にはじまり、そのころからのことである。

 天武巻に至り、「親王諸王及び諸某」とも記した。

 古代、皇子諸王男女ともに、すべて「みこ」といい、王の子を一緒に書き、「諸王」に皇子も含められていた。

 後に親王という号(な)ができ、親王を「みこ」、諸王を「おおきみ」と言ったが、古代は、「おおきみ」というのは、天皇をはじめ奉り、皇子諸王までにわたる号(名)であった。

 百官という表現は、いと古く、古事記にもある。

 しかし、もとは、外国の書にならってのことである。

 諸(もろもろ)は、上に属(つ)けて読む。

 古事記に、天神諸(あまつかみもろもろ)などあるがごとし。このことはそこに詳しくいう。

 宣は、「のる」と読む。

 ここは、中執臣の自らいうことで、俗言に、申し聞かせますという意味である。

 この祝詞の中の宣の字は、みな中執臣がこの祝詞を、諸(もろもろ)にいい聞かせる意味である。

 神祈令に、「中臣はらい詞を宣る」とあり、「中臣祝詞を宣る」とある義解に、「宣は、布である。祝は、賛辞である。言葉は、神に告げる祝詞でもって、百官に宣り聞かせる、ゆえに祝詞を宣(の)るという」とあることで知るとよい。

 すべて、天皇の詔勅(みことのり)(命令)を宣るということも、詔勅を受けた人が下にいい聞かせることで、宣旨宣命などという類も、旨(むね)を宣る、命(みこと)を宣(の)るということで、宣の字は、そのいい聞かせる人に係る言葉である。

 この宣をあしく心得る人が多いので、今詳しくいった。

 考にいう。

 ここで、某の位までは揖し、某の位までは、称唯(おおという)べし。この区別は、某抄にある。

 後釈。
 某式に、「聞こし召せといえば、トネみな称唯(おおという)」とあれば、考にいわれたような、区別はなかった。

 この下に、「聞こし召せと宣る」とあるところ、みな同じ。

○「天皇朝廷(すめらがみかど)に仕えまつる」
 後釈。
 この末に、「天皇(すめら)が朝廷(みかど)」、某祝詞に「皇(すめ)らが朝廷」、某に「天皇(すめら)が大御命(おおみこと)」とある。先生は、「すめら」とのみいうのは、古くないようにいわれることもあるが、万葉二十にも、「すめらみくさ」とあるなど、古くからの表現に思われる。「天皇」を「すめ」と読むことは、後にも述べる。

○「ヒレ掛ける伴(とも)(部、グループ、集団)の長(お)」
 考。
 領巾(ひれ)は、女性の掛けるものである。古代、女性は、みな掛けていた。紀にも、万葉にもあるが、ここは、次の「たすき掛ける長」に対していったもの、そのほかにも、宮中に仕えるわざある人をいい、大御食(食事)に仕える給仕の女性を指していう。

 同序。
 領巾(ひれ)は、女性のみな掛けている中にも特に御食に仕える女性のヒレのことは、天武紀からして、諸書に多く見られる。また、空の国から、降り立たれた時、「五伴の長云々」とある。中の二人は、女神である。また、紀に「婦人を乳母となす云々」「諸の部備え行き、養いまつる」とある「諸部」も「もろもろのとものお」と読める箇所も同じくその中に婦人あり。

 後釈。
 「とものお」の「お」は、「長」で、もともとその部(グループ、集団)の長をそう呼んだ。このことは、古伝十五に詳しくいった。

○「たすき掛ける伴の長」
 考。
 たすきを掛けて仕えるのは、忌部などもだが、ここは、大御食(食事)を作る、膳部を指すと思われる。 

 後釈。
 某祝詞に「すめみまのみことの朝の御膳(みけ)(食事)、夕の御膳仕えまつる、ひれ掛ける伴の長、たすき掛ける伴の長」とあり、ここもこれに同じ。

○「ゆぎ負う伴の長、太刀帯(は)く伴の長」
 考。
 外の重中の重近衛を守る。百千の人からして、内舎人、大舎人、そのほかの武官も兼ねる

 後釈。
 後世の六衛府の類の武官をいう。考に近衛を守るとあるのは、いい間違い。近衛とは、内の重ということか。

 負、帯は、「おう」「はく」と読む。「おえる」「はける」と読むのは、誤り。

 ここに四つの伴の長を挙げているのは、多くの中にいて、いささか摘み出していう古文の表現で、これにもろもろの伴の長も含まれる。このことは、次の文にて知られる。
 
 すべて古文は、種々事多い中にわずか一つ二つをいい、ほかをそれに含めること多い。

 某祝詞に、「手肘(たなひじ)に水沫(みなわ)かき垂れ、向股(むかもも)に
泥(ひじ)かき寄せて」とただ二つことをいい、田を作る始終の種々のわざを、みなこれに込めているようにである。この例なお、後にも述べる。

○「伴の長(お)の八十(やそ)伴の長をはじめとして」
 考。
 右の言葉をなお広め、宮城の内に仕える官人をすべていっている。

 後釈。
 八十伴とは、百官みなをいう。宮城の内に官人に限らない。「をはじめとして」とは、「とものお」は、もともと部(とも)(集団・グループ、この場合、部署?)の長をいう称であるため、その部々(ともども)の長々(おさおさ)をはじめとして、その下々までというのである。この詞でも「お」は長(おさ)であることが知られる。

○「官々(つかさづかさ)に仕えまつる人達(ひとども)の」
 考。
 官省寮司の下にある、諸部の者たちまでをいう。

 後釈。
 官々(つかさづかさ)は、先の「八十伴」である。仕えまつる人は、その長々(おさおさ)の下に属し、仕える官人たちである。

○「過ち犯(おか)しけむ雑々(くさぐさ)の罪を」
 考。
 天(空の国)の罪、国(地面の国)の罪を、はじめ雑々の罪を込めている。

 後釈。
 過(あやま)つとは、ことさらに心もてなすのではなく、覚えずおかすことをいう。すべて罪とあることを知りながら、ことさらに心もておかすとは、限らない。 なだらかにただ過つと表現されているのは、おもしろい。おかすとは、慎(つつし)みて、してはならないことを、つつしまず、なおざりに「大ろか」にすることをいい、「大かす」のである。「大」(おお)は、「おおよそ」の意味である。
 
 雑々の罪は、天の罪、国の罪の種々である。

 さて、これは、去年の十二月晦日の大はらいの後から、今年の六月晦日までにおかしたる罪どもである。

○「今年の六月(みなづき)の晦日(つもごりのひ)の大はらいに」
 考。
 晦日、朔を雅言には、つもごりの日、ついたちの日という。月隠、月立の日ということである。

○「はらいたまい清めたまうことを」
 考序。
 古代、「はらえ」というのは、「はらはえ」を縮めたものである。

 後釈。
 「はらい」は、自らすることをいう。「はらえ」は、はらわ令(せ)で、人にせしむるをいう。自他の別がある。「はらはえ」という言葉は聞いたことがない。

 ここは、百官男女に物を出させ、罪をはらわせる方でいえば、「はらえ」であり、百官男女のおのおのの罪をはらうわざであれば、広くいうときは、「はらい」 である。ここでは、広くいう方について、はらいと読む。「はらいたまう」は朝廷から、このわざをして、百官の罪をはらうのである。

○「諸(もろもろ)聞(き)こし食(め)せと宣(の)る」
 考。
 この宣の箇所は、本文と趣き異なり、後の文であろう。また、親王、諸王という表現、天武紀にもいささか出ているが、さだかにこういうのは、大宝令の時からで、これらから考えると、この宣の文は、奈良の朝に至ってのことであろう。

 後釈。
 諸(もろもろ)とは、先に挙げた「ひれ掛ける伴の長云々、官々に仕える人たち」をすべて指している。

 さて、大はらい祝詞は、この次の「高天が原に」という箇所が始まりで、これまでの二段は、はらいの詞ではない。

 百官の大はらいの時、別に加えて、まずはじめに宣る詞である。

 この二段のうち、「天皇が朝廷に」からの一段は、文特に古く、いといとめでたい。これは、上代に、百官の大はらいの時に加えて、宣りあげた詞で、この段の文の古いことで、百官の大はらいも、上代からあったことが知られる。

 ただし、「今年六月…」という言葉は、後に、二季の大はらいの定まったときに加えられた。「集侍…、諸聞食…」とあるはじめの一段も、そのときに加えた詞であろう。

 そもそもこの段とはじめの段は、同じ意味。かく同じさまのことを重ねていい、その文のいたくことなるのは、この段は、上代からの詞をそのままに用い、はじめの段は、後に加えられたためである。

 「高天原に」から以下は、諸国の大はらいの祝詞であるが、朝廷百官の大はらいにも兼ね用いられた。そのことは後にも述べる。

 考に、この段の文を後の文だといわれているのは、はじめの段と一つ繋がりに読んだために、親王諸王の表現にのみ、気づき、この段とはじめの段が別であることを忘れ、また、この段は、殊に文のめでたいことにも気づかれなかったのである。
 もし、同時に書かれたものであれば、同じ官々のことを、かく文を変えて二度言う必要もない。

つづく

posted by 青田猫三齋 at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 本居宣長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月07日

「本日の更新」

 まだ、祝詞の本文には、入っていない。
 
 量的には、小連載並みかもしれない。

 注意書きしておくと、「はらい」「はらえ」の区別を細かくはしていない。どちらも私の中では、「おはらい」と一つに考えていることに由来する。読み物として、読んでいただきたい由縁もこういうところにある。

 古伝の引用ヵ所と後釈本文の内容の重複があるので、読んでいて混乱するかもしれない。

 考の引用で然りといっていることが、後釈で間違いだとされたり、今読んでいるのは、どっちの箇所だと、これもまた読んでいて、分からなくなるかも…。

 今回、大はらいの儀式のさまの説明などが、メインだが、アバウトな形ながらも、なにがしかが、伝わればと思う。結局、古代の在り方は不明であるのだが…。

 「某」「云々」を多用しているが、それぞれ「なにがし」「うんぬん」と読む。

 本文のヵ所まで、もう少し前置きの話は続く。本文に入ると、多少は、おもしろくなってくると思う。


 何か言い訳がましくなった。
  
posted by 青田猫三齋 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「のりと編」二

※「大はらい」(古伝三十)

 諸国の大はらいのさまを記録したものはないが、朝廷で行われる式(のり)を参考に知るとよい。

 「神祇令」に、「六月、十二月の晦日、大はらい。東西の文部(ふみべ)が、はらいの太刀をお供えし、はらいの詞を読み、終わって、百官男女がはらいの場所に集まり、中臣は、はらいの詞を宣(の)り、ト部(うらべ)がはらいを為す。」

 (文部(グループの名)が読むはらい詞は、義解(本の名)に、「文部が漢音に読む」とあり、この詞も式の大はらい詞の末に載せられている。

 先生は、考に記す。「これ(漢音に読み上げたという文)は、文部が遠祖の時から、伝え来た文であるとは思われない。はるか後のもので、中国、朝鮮半島などの巫祝の唱える詞によって作られたものではあるまいか。

 また、「ト部がはらいを為す」というのは、上代のことではない。後に定められたものであろう。このことは、大はらい詞の最後の文に論がある。」

 百官男女とあるのは、男女の官人の意味で、官人とその妻や娘という意味ではない。

 「四時祭式」に、「六月晦日の大はらい(十二月これになずらう)…。

 晦日に、親王以下百官が朱雀門に集まり、ト部がのりとを読む」とある。

 (ト部が読むとあるのは、後の人の改めたものか。はらいの詞は、もともと中臣がよむものである。式文にこうした記述はありえない。)

 「太政官式」に「六月、十二月の晦日。宮城の南の路で、大はらいを行う。

 大臣以下、五位以上、朱雀門に就(つ)く。弁史(職の名?)各一人、中務式部(グループ名)、兵部(〃)等の省を率いて、見参の人数を申し(報告し)、

 百官男女ことごとく会し、これをはらう。

 臨時の大はらいもまた同じ。」とある。

 なお、朱雀門前の大はらいの儀式(のり)は、「貞観儀式」にも記述があり、その中に、「はらいの儀(さま)はただ…(中略)立ち定まる神祇官が切り麻(ぬさ)を分かち、終わって、中臣座に就いて祝詞を読む。

 「聞こし食(め)せと」の箇所で、トネ(諸司の六位以下の者)みな称唯?する。

 はらい終えて、大麻(おおぬさ)を行う。次に五位已上の切麻(きりぬさ)を行い、解散となる。」とあるのみである。

 この中に、大麻(おおぬさ)、切麻(きりぬさ)を行うという意味の記述があるが、古代のはらいのさまとは思われない。後の世の儀式に相違ないであろう。

 令の時、既に文部が漢文の祝詞を読むこと、ト部のはらいすることなどあり、いにしえのものとは思われない儀式(のり)などが雑(ま)ざっているので、世々に移り変わったほどを、思いはかるとよい。

 中昔(中世?)以降、大体、はらいは、陰陽家の仕事のようになった。個人的なはらいも同様。

 この大はらいの次第に衰えたことは、「小右記」に「天元五年六月二十九日、今日、大はらいの場所に、公卿一人も参らず。右少弁惟成を代理と為し、これを行わせる。内侍たちは、障をいい、おはらいに向かわず。女史を内侍代理と為す。」 とあることで知られる。

 天元は、某天皇の時代で、世の人ひたすら仏事(ほとけわざ)に心を寄せて、神事をなおざりに思い、はらいは、わが身のはらいであることを忘れている。
 
 あなかしこ、あなかしこ。(ああ、畏れ多い、もったいない。)

 このように参らぬことを咎めることも聞こえないのは、これまた、神事をなおざりに思うからであろう。

 ※現代、儀式は復興しているらしい。

※「大ぬさ」( 〃 )

 「大(おお)」は、大はらいの大と同じく、広く国中から取るためにいう。

 「ぬさ」は、神に手向ける物もいい、はらいに出だす物もこういう。

 名の意味は、祈(ねぎ)布佐(ふさ)である。事を乞い祈(願)(ね)ぐということで、出すのである。

 はらい「ぬさ」も「その罪けがれを除き清めたまえ」と(ね)ぐ意から、出だすもので、神にお供えして祈(ね)ぐと、意味は同じである。

 「ふさ」は、麻のことである。

 神に手向ける物、はらいに出す物は、種々あるが、特に麻を名に負わせているのは、あるが中にも旨とする一種にだからである。

 ここにいう「ぬさ」は、はらいに使う物のことで、「千座置戸」のヵ所に詳しいので、考え合わせていにしえの「大ぬさ」の意を知るとよい。

 (大はらい、大ぬさというものは、ただ名のみあり、古代のとはその趣きいたく変わり、もとの意は失(う)せている。

 貞観儀式の大はらいのヵ所にある「切りぬさを分かつ」「大ぬさを行う」という後の儀式のさまも文献になく、どう行われたか分からない。

 ともかく、古代に大ぬさといったものは、中昔から宣長の時代までのものとは、その趣き異なる。

 神事に榊の枝に麻と紙とを垂らした物も、「ぬさ」といい、紙は、木綿の代わりである。

 また、神社から授けるおはらい大麻(ぬさ)という物は、木綿麻を串に挟(はさ)んだ 形で、これも紙を代わりにして用いられている。


 考にいう。
 臨時の大はらいは、建礼門で行われたことが、「三代実録」の記述で分かる。

 後釈。

 貞観儀式に、大はらいの儀式の記述。

 「その日、午四刻。神祇官・某(なにがし)・某の三司が延政門の外に集まる。

 百官男女は、ことごとくおはらいの場所に集まる。

 これより先に(準備として、)神祇官が朱雀門の前の路の南側におはらいに使う物を陳(なら)べる。(六ヶ所に分けて、置く。馬は、北を向かせる。)

 朱雀門、東西の舎に、位ごとに諸司の席を設ける。

 某たちは、朱雀門の壇上の東側(向かって右)の第一の間を某たち、第二の間を某たちの階(席)とする。

 女官たちの席は、壇上の西の間にある。間仕切りは、斑幕で隔てられている。

 某たちの席は、東の舎。

 某たちは、西の舎。

 祝詞(をあげる人)は、路の南西。(おはらいに使う物を六ヶ所に分けて置いたその隣のイメージ。)

 席の前に軾布を置く。

 席の割り当てのないあとの役人たちは、東の舎の東に立つ。

 (中略)

 東舎の人たちが、席を立ち、降りて、東舎の南に立つ。

 西舎の人たちが、(同様に)降りて、西舎の南に立つ。

 立ち定まり、神祇官が、切り麻(ぬさ)を分かつ。(位ごとに各担当で行う。)終わって、中臣が、(席の所に)行って、席に就き、祝詞を読む。

 祝詞の「聞こし召せ」のヵ所では、席のない人たちが、(自らの口を手で覆いながら?)「おお」と答える。

 はらい終わって、次に、大麻(おおぬさ)を行う。

 某たちの切麻を撤する。

 散会となる。

 ※大体のさまを抄訳(迷訳?)した。「切麻を撤する」などのことも、よく分からないが、ご勘弁。専門書に詳しい。

 「祝詞を読む」のは、大はらい祝詞である。

 切ぬさを分かつ、大ぬさを行うなどは、古代からあったものか、後からの行われた儀式のように聞こえる。
 
 元来、おはらいは、その人々から、はらいに使う物は、出させた。令の書かれた時代には既に、文部(ふみべ)が漢文の詞を読んだり、ト部(うらべ)がおはらいをすることなど、ほかにも、古代にない儀式が混ざっていたらしいことが分かる。

 この儀式について、貞観儀式以外の本に、少し違った記述がある。

 「おはらいの馬は六匹」というヵ所、「又、稲四、五束ばかりを積み置く」とある。

 また、「大ぬさを行う」の解釈に、「神祇官以下、これを執(と)り、某以下の席の前にこれを引く。某、某、某諸司の料(しな)は、各異なる。」とある。

 また、「某一人が事を行う。あるいは、納言参着、稀有の例である。」
という記述からすると、その頃は、大臣の参り集まることが絶えていたと思われる。
  
 百官の大はらいも、二季の晦日以外にも、臨時にもあったようである。

 大嘗祭式に「おおよそ大はらいの使いは…」と諸国の使いを遣わすことを挙げ、「京にある諸司、晦日に集って大はらいをすること、二季の儀のごとし」とある。

 そのほか、神事の折、内裏にけがれ事があって、大はらいを行われたことなども古書にある。

 考に、臨時の大はらいは建礼門で行われたとあるは、三代実録の「某年某月某日、某の前、人死あり、建礼門の前で大はらいする。」とあるヵ所をいっている。これは、内裏のけがれであるために、特別にこの門の前で行われたものである。

 通常、臨時の大はらいも朱雀門で行われたことは、某の本などからも知られる。

 考にいう。
 この祝詞は、(本来、何と呼ぶべきか。)式では「大はらいの詞(ことば)」といっている。

 古語拾遺では、「中臣のはらえの詞」。

 某の本では、「中臣の祭文」。

 祝詞は、中臣氏の宣(の)る詞(ことば)だからである。 

 今の世(真淵の時代)の人が、この祝詞のことを「中臣はらい」とのみいうのは、間違い。

 中臣は祝詞を宣(の)り、はらいは、ト(うら)部(べ)(グループ、一族?)が行うもので、「中臣はらい」というと、はらいも中臣の行いのように聞こえてしまう。

 式にあるように「大はらいの詞」というべきである。

 後釈。

 この祝詞は、某令に「中臣はらいの詞を読む」。

 貞観儀式に、「はらいの詞にいわゆる…」とある。

 考にいわれるように「大はらいの詞」と呼ぶべきこと、論ずるまでもない。

 ただし、式にも何にも「大はらいの詞」と続けていう言い方はしていない。

 祝詞式にも、六月晦日の「大はらい」とあり、「詞」の文字はない。巻のはじめに「祝詞」とあげているので、それぞれの祝詞には、ただ「某の祭」とのみ記されている。

 考で、式に「大はらいの詞といわれている」というのは、思い違いである。

 また、この祝詞は、「大はらいの祝詞」ともいう。

 某式、某式にもこれを「祝詞を読む」とある。

 これも、神に申す詞だからである。

 万葉十七の歌に「中臣の太祝詞言(ふとのりこごと)いいはらえ」とある。これは、「太祝詞言」を、中臣が、いいはらえという意味にも釈(と)られるが、「中臣の太祝詞言」をいいはらえといっているのである。

 さて、この祝詞、某記、某記にも「中臣のはらえ詞」とある。

 大神宮年中行事には、「中臣はらえの祭文」とある。

 「祭文」とは、中昔にこうした読み唱える詞の類をすべてそう呼んだらしい。

 「中臣はらい」とのみいわれたのは、いわれて久しく、世の人のいたく誤解しているところである。

 考に、はらいは、ト部のする行いで、中臣の行うことではないとのみいわれているのは、なお説明が足らない。世の人の「中臣はらい」とのみいい、この詞=はらいと思っているのは、誤りで、そのことは、以下にいう。

 ※古伝「中臣」を説明したヵ所。

 万葉十七に、読みが「ナカトミ」と書かれている。

 名の意味は、中執臣(なかとりおみ)である。

 某という記録に云々とあるように、祖アメノコヤネから、神と君とのみ中を執(と)り持って申す仕事(つかさ)であったことに由来する。

 つづく
posted by 青田猫三齋 at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 本居宣長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする